隣には、現在はマンションになっていますが立派な屋敷林が残っており、そこから枝が張り出した樹々が、園内にある澄んだ池に美しく映えています。
写真にすると相当な緑のボリュームがありますが、右側の崖の上は隣の屋敷林なので、そこが公園のイメージを大きく左右する存在になっていることがわかります。
そもそも明治時代の地図を見ると小学校と公園はそれぞれ別々の池になっており、先に南側の池が埋め立てられて学校に、後に北側の池も大半が埋められてお屋敷となり、わずかな名残が公園内の池ということのようです。
神戸市の資料によれば開園は1954年(昭和29年)で、1948年(昭和23年)撮影の航空写真では北側の池が一部残っていることから、1948年~54年の間にこれがさらに埋められて、公園が開かれたようです。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より 整理番号:USA-M18-4/コース番号:M18-4/ 写真番号:51/撮影年月日:1948/02/20(昭23)に地物名を加筆 |
冒頭にも述べたように池の水は非常に澄んでおり、どこから流れ込んでいるのか、あるいは住吉川から伏流した水が湧き出ているのかと気になります。
と言いながら池の最上流部には流入口が2つあるので、園外から流れ込んでいることは確実です。おそらく手前の大きい方が園外からの流入、奥の小さいほうが園内の雨水排水ではないかと思われます。
下の写真は、公園の上流側に隣接する家々の間を通っている水路です。
上流100メートルほどまではこのように開口した水路があるのですが、それよりも上流では地下の暗渠になってしまうため詳しい流路はわかりません。
さらに100メートルほど遡った道端で、晴れているのにかなりの水量が流れている音がする暗渠を見つけたので、ここに繋がっているのではないかと考えました。
水みちを追いかけて公園の外に出てしまいましたが、再び園内に戻ります。
園内は、おおむね南半分が池と流れ、北半分が遊具のある広場になっています。
遊具は滑り台と鉄棒、砂場だけのシンプルなもので、やはり池がメインの公園だと思わされます。
池は浅いもので、大人の膝下くらいまでしかありません。
また周りには柵があり、中に入って遊ぶような構造にはなっていません。
池からは浅い流れがあって、これが園外へと出ていっているのですが、出た途端に暗渠になるため、これもどこに流れていっているのかは不明です。
今は地下に隠れてしまった水の流れが、ここでだけ顔を出しているため、その道筋ばかりが気になってしまう校北公園でした。
(2016年8月訪問)
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