曲がった坂道に接する崖下で、湿気やゴミが溜まりやすく住宅にはあまり適さない土地を上手に公園にしているという立地でもあります。
そんな田端公園には、カラフルな色合いの尖塔を持つ大きな滑り台があります。
滑り台そのものとしては、やや長めの曲線滑り台なのですが、デッキ部が螺旋階段のある塔になっており、それが石の山遊具とも繋がって一連の複合遊具になっています。
また石の山遊具の周りにはコンクリート製の動物遊具がいて、遊具がギューっと集められた構造になっています。
こんなビーナスが出てくる貝みたいな遊具もあります。
でもよく見てみると、上写真で茶色いワニが身を乗り出している先は石の山の周りよりも一段低くなっており、そこには橋が架かっていたり、飛び石があったりしますので、どうやら沼地のような危険地帯という設定になっているようです。
すると中心は、石の山ではなく島という設定になるのでしょうか。
このトンネルをくぐって塔に向かうところも、子供の冒険心をぐっと掴むように思います。
鉄は本来は冷たい感じがするもののはずなのに、公園の遊具として樹脂製のものと比べると、なぜか温かみを感じてしまいます。「人の手が行き届いている」実感があるからでしょうか。
公園の中心部からは少し離れますが、ブランコとジャングルジムもあります。
赤・青・黄の3色を巧みに使い分けたカラーリングは滑り台と共通で、この公園のデザインコードになっています。
遊具管理のためには定期的にペンキを塗り直す必要があることを思えば、この色分けの細かさは勘弁して欲しいところなのですが。これこそ、人の手でなければ対応できない象徴みたいなものです。
緑に包まれた異世界として、今も昔も田端に住む子供たちを魅了してやまないであろう田端公園でした。
おまけ.
公園の近くにあった保育園の横に飾られた解説板を見つけました。
田端文士村の名は知っていましたが、この辺だとは知らなかった。
●現地の解説板より「田端文士村 ポプラ坂」
田端保育園はポプラ倶楽部の跡で、ポプラ坂の名はこれにちなむものです。ポプラ倶楽部は、明治41年ごろ、洋画家の小杉放庵(未醒)が作ったテニスコートで、田端に住む洋画家の社交場となったものです。陶芸家の板谷波山、洋画家の山本鼎、彫刻家の吉田三郎、詩人の室生犀星、小説家の菊池寛などが、このすぐ近くに住んでいました。大正2年、田端に越してきた芥川龍之介は、その1ヵ月目に、ポプラ倶楽部のことを手紙に書いています。
昭和62年10月 東京都北区教育委員会
(2016年6月訪問)
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