大森三輪公園は、大田区大森の三輪神社の近くにある小公園です。隣には区立大森西図書館があり、図書館と公園とを併せて一つの公共空間を形づくっています。
公園としては広場が主体で、敷地の大半を広場とし、外周部にちらほらと遊具やベンチなどが並ぶ構造です。
遊具は幼児向け、砂場も広めになっています。
図書館の隣と言うことでもあり、元気いっぱいの小学生が集まる施設内容は避けたのかも知れません。
公園の一角というか、図書館との出入口のあたりに、大田区指定文化財の灯篭台石(東海道常夜燈)があります。
もともとは少し離れた旧東海道沿いにあったものが、東海道が第一京浜国道として整備される際に移転させられ、転々とした後にこの場所に設置されたものだそうです。
解説板が上下2つあるのですが、燈籠が壊れた理由として、上には「戦災」、下には「関東大震災」と書かれており、幾分混乱が生じているようです。
●大田区文化財 燈籠台石(東海道常夜燈)
江戸後期、東海道筋に通行人の目印として、大森村を中心に近郷、江戸、川崎などの富士講の人々が建てた常夜燈である。もとは谷戸の交番付近(大森中1-18付近)に建てられていたが、東海道が第一京浜国道として建設されたために移転を余儀なくされ、転々とした後、大森中三丁目の三輪神社にあった。昭和61年(1986)、地元より教育委員会に寄付され、ここに移設する際、戦災で失われていた火袋、竿石を修復し燈籠として復元した。台石の正面の彫刻は、富士山が庚申の年に出現したという伝説を表している。昭和50年3月19日指定 大田区教育委員会
●東海道常夜燈の復元について
「東海道常夜燈」は、江戸時代後期(19世紀初め)、かつての東海道大森間の宿のうち「谷戸の宿」といわれたところに建てられていた。古老の話によれば、現在の大森中1丁目18番付近で、そこは明治時代にできた天神社があり、その前の旧道に建っていたという。しかし大正12年の関東大震災によって倒壊、破損した。その後、東海道が第一京浜国道(昭和2年完成)として拡幅された際、台石等は地元旧家宅2軒に順次移管され、さらに三輪神社(大森中3丁目17番15号)境内に移設された。昭和61年6月、三輪神社の社殿の改築及び境内の整備に伴って移転する必要が生じ、神社から区教育委員会に寄付された。教育委員会では、前方八幡神社 (大森中3丁目3番8号)の神前燈籠がこの燈籠を模して建立したと伝えられるので、これを参考に復元し当地に建立した。昭和62年3月 大田区教育委員会
この灯籠が面白いのは、富士講の人々からの寄贈で、その証に台石に富士山と申の彫り物がされているところです。単に自分たちの崇拝する富士山を示したというわけではなく講のPRを兼ねたもの、今風に言えば「スポンサー燈籠」なのでしょうか。
(2015年11月訪問)
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