以前はけっこう古ぼけた公園だったように記憶していますが、2011年(平成24年)に隣接する市立芦屋病院が改修されたのに合わせて公園も一部改修され、今のような姿になりました。
傾斜地にあるためいくつもの小段に切り分けられており、幹線道路に隣接する最上段の遊具広場、その次の段に小広場、最下段は園路と自然林を活かした園地などになっています。
遊具広場は、下の複合遊具の一点勝負。あとは砂場とパーゴラくらいしかありません。
下の方から園内を見上げると、こんな感じ。
まだ改修されてから日が浅いため樹木はあまり育っておらず、周りの住宅地よりも公園のほうが緑が少ない印象です。
もう一箇所、遊具広場とは病院への進入路を間に挟んだところに、健康器具が並ぶ一画もあります。病院関係の方々の利用を見込んでいるのかもしれませんが、ここもまだ緑が少なく、味気ない雰囲気です。
そんな風に、今は緑の少ない印象の山麓公園ですが、そこに「ノースロップの森」の石碑がありました。
明治から戦後すぐまでは、毎年4月3日(神武天皇の崩御日に因む)が「愛林日」とされていましたが、これの元になったコネチカット州の植樹運動を日本に紹介したのが、アメリカの牧師・教育者であったノースロップ(Birdsey Grant Northrop)です。
●ノースロップの森
アメリカの教育家ノースロップ博士(1898年没)は自然を愛し木を植えることが子供の性格をつくるうえに良い影響を与えるという考えのもとに植樹運動の普及に努め、明治28年には78歳の高令にもかかわらず来日され、全国にこの運動を広められた。
第二次世界大戦後、日本では「緑の週間」が始まり植樹行事も年ごとに盛んになるにつれ、ノースロップ博士の業績をあらためて認められるようになってきた。
芦屋市では「緑ゆたかな美しいまちづくり条例」をつくり、全市公園化を目指すにあたって、この朝日ヶ丘の一角に市木くろまつをはじめ多数の木を植え、博士をしのび「ノースロップの森」と名づけた。
昭和48年4月1日 芦屋市
当時にどのような運動があったのかはよく知らないのですが、昭和48~49年頃に全国各地で「ノースロップの森」が造成されており、ここに近いところでは大阪城公園にも同名の一角があります。
それから40年以上が経ち、この公園の森は寂しくなっていますが、周りまで目を向ければ、山の緑は豊かになっていますので、まぁ成果はあったのかな、と。
(2016年1月訪問)
【2018年10月追記】
芦屋市の広報のバックナンバーを見ていたら、山麓公園のノースロップの森と記念碑についての記事を見つけました。経緯がよくわかったので、当該部分を引用。(芦屋市の「広報あしや(昭和50年5月5日 第343号)」より)。
記事中に登場する久我俊一氏は、大阪で木材会社を経営していた人物のようです。
●「ノースロップの森」緑の恩人しのび記念碑つくる
市では、このほど朝日ヶ丘町の山麓公園の一角に、日本で初めて学校植樹を教えた「緑の恩人」ノースロップ博士をしのんで、記念碑をつくり、その除幕式をさる12日に行ないました。
同公園には、さる47年10月、市内呉川町にお住まいで、20数年間緑化運動に取り組まれ、『緑化の恩人ノースロップ博士』の著書も出版されている久我俊一さんから、市の緑化にと100万円を寄付されたのをもとに48年4月、クロマツ、クス、ヤマモモなど常緑樹約80本、モミジ、イチョウなど落葉樹約40本などを植え、"ノースロップの森"と名付けました。
そして昨年12月、再度、同氏から緑化にと100万円の寄付を受け、アラカシ、モチ、シイノキ、ケヤキなど70本を植え、合計約200本となっています。
なお、記念碑は、高さ0.8メートル、幅1.4メートルで、ミカゲ石製の碑面には、同博士の業績をたたえた言葉をほり込んでいます。
0 件のコメント:
コメントを投稿