船立(ふなたて)公園は、宮古島市の中心である平良地区の旧市街地にある小公園です。公園名は、公園の中心にある「船立堂」から採られたものです。
●現地の解説板より「船立堂(ふなだてどう)」
兄妹「かねどの・しらくにやすつかさ」を鍛冶神・農業神として祀る御嶽である。
その由来は「昔、神代に久米島按司という人に一人の娘がいた。兄嫁は邪険放辣な女で娘を邪魔に思い、按司にこの娘には毎夜忍んでくる男がいると讒言した。按司はこれを信じ怒って娘を小舟に乗せ沖に流した。これを見かねた兄は小舟に泳ぎ乗り、妹とともに漂流した。翌朝、小舟は漲水の浜に漂着、その夜の夢に神のお告げがあり、兄妹は船立の地に移り、苫屋を設けて住んだ。里人の水くみや薪運びなどを手伝って暮らしていたが、やがて妹は住屋里(すみやーさと)かねこ世の主と夫婦となり、九人の男子をもうけた。成人した子供たちは祖父に逢いたいと思い、母を伴って久米島に赴き、按司と対面した。按司は先非を悔いて親子の愛を尽くし、黒がね・巻物を引き出物に贈って宮古島に返した。兄はこの黒がね・巻物を基に鍛冶屋を起こし、ヘラ・鎌などの農具を作ったので、農業が発達し、豊穣の世になった。万民飢えをしのぎ安楽に暮らせるのはこの兄妹のお陰だとして、二人の白骨を船立山に納め御嶽の神として崇めた」と伝わっている。
主な祭祀として旧11月8日のフーツキヨーカ、旧8月8日のカージャー願いがある。
公園名は「ふなたて」ですが、ウタキは「ふなだて」と濁るようです。
しかし、解説板を素直に読むと、ウタキになっているこの森が、二人の白骨が納められた船立山であるようですが、見てのとおり山と言うほどのものではありません。
さて、公園の敷地としては、街区を貫いて2面で道路に接しており、ウタキの裏側に回ると草敷の広場になっています。
その広場の中に、ブランコとラダー太鼓橋があり、いちおう遊具広場仕立てになっています。もっともブランコの足元にはしっかりと草が茂っており、あまり使われていない様子が見て取れます。
草丈は、くるぶしが隠れるくらいになっており、雨上がりに園内に入ると足元がびしょびしょになりそうです。
草が茂るものだから、公園の横には、ちゃんと石敷きの通路が整備されていました。
それならば、広場部分にも人が通れるような園路を確保して欲しかった気もする船立公園でした。
(2015年11月訪問)
0 件のコメント:
コメントを投稿