百島新田はNo.1067で登場した新淀川の開削によって一部が水没し、また1924年(大正13年)に現在の阪神なんば線が開業したこともあって徐々に工場が進出するようになって市街化が進み、現在は淀川製鋼所の大きな工場などが林立しています。
しかし、江戸時代も新田だからといって農業ばかりをやっていたわけでもなく、湿地の中の水路を伝って淀川に繋がる立地を活かして漁業も盛んだったようで、海の神様・漁業の神様である住吉神社、夷神社なども祀られていました。
住吉神社(大野百島住吉神社)は、1995年(平静7年)の阪神・淡路大震災で社殿が倒壊する被害を受けましたが、氏子ほか関係者の皆さんの尽力で翌年には復興しています。
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そんな住吉神社の裏手にある小公園が、百島公園です。
古くからの住宅が建て込んだ地区の、路地裏にすっぽりと開けた場所が公園になっています。
周囲の細道も、道路というよりは水路に蓋をしただけのものと見受けられます。
また、公園内には踏み分け道がくっきりとできており、通り抜けのできる「道」として公園が使われている様子が伺われます。
そんな建て込んだ地区だからこそ、小さくとも公園が必要だということを体現しているかのように、幼児向けの滑り台、ブランコ、鉄棒などの遊具が置かれています。
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