南泉尾公園は、大正区の泉尾東小学校の北側にあります。
東なのか北なのか南なのか、方位表現がわけ分からなくなっている上に、町名変更もあってか所在地の住居表示は千島一丁目(泉尾という町名の区域は別に残る)という難解さです。
もともとが旧淀川河口付近に浮かぶ砂州だったという大正区は、江戸時代中頃から各地の民間資本を入れて新田開発がおこなわれた歴史があるそうで、開発者にちなむ地名・町名が数多く残っています。
「泉尾(いずお)」もその一つで、開発した北村六右衛門宗俊の出身地が和泉国の踞尾(つくの)村だったので、”泉”と”尾”を取って泉尾と名付けたとか。北村家では代々その新田開発を受け継ぎ、明治初期には125町(125ヘクタール弱:いわゆる甲子園球場31個分)を所有していたそうですから、本来の泉尾の範囲が広すぎたのかも知れません。
敷地の半分くらいが背の高いフェンスに囲まれた多目的広場、残りの半分が遊具広場になっています。
多目的広場は両翼距離にして50メートルもないくらいですが、バックネットや外野ポール状のものも建てられており、少年野球場風の仕立てになっています。
遊具広場の方は、滑り台、ブランコ、複合遊具、鉄棒、砂場など、幼児から小学生まで対応できるものが一式揃っています。
多目的広場の柵がきれいな弧を描いています。
いちおう公園の外周植栽で区切られた外(写真の左側)は学校との間を抜ける道路扱いだと思いますが、車が来ないのを良いことに走り回るなどして遊び場になっているのではないかと思います。
(2015年2月訪問)
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