中野北公園は、No.192の中野南公園から要玄寺川に沿って400メートルほど北上したところにあります。しばらくの間、河川工事の基地として間使われていましたが、それが終了し、1年ほど前に大改修されて今の姿になりました。
公園の東側にある大きな出入口を入ると、まず遊具広場。
新しい公園ということで、児童向けと幼児向けのスペースはしっかり分けられており、砂場を中心とした幼児向けスペースは柵で囲まれています。
児童向けの遊具も、他の公園とは少し違った今風のものがいくつか入っています。
複合遊具はそれほど変わったところはありませんが、ウロコ模様の屋根が少しオシャレです。
これは、どちらからでも滑ったり登ったりできるユニバーサルタイプの滑り台。
形は変わっていますがいちおう滑り台なので、滑り出る部分の下に洗掘防止のマットを敷いたほうが良かったと思います。そのうち溜りができてしまうのではないでしょうか。
曲線的でグネグネしたジャングルジムのようなパイプ遊具は、伝声管が付いているモデルと付いていないモデルがあるようですが、こちらの公園は付いていないモデル。
いろんな公園で見るたびに少しずつ形が違うようにも思うのですが、さすがに気のせいでしょう。
ラダー遊具は、地面と平行なバーが1本もありません。端から端まで登って降りるためには、相当な腕力と平衡感覚が必要です。
遊具広場の後ろが広場になっており、その周りをグルリと園路が巡っています。
園路沿いには大人向けの健康器具が並べられており、ウォーキングがてらに軽いサーキットトレーニングができるようになっています。
要玄寺川は、公園の中を南北に貫いています。非常に深い形状になっており、水に親しむような具合にはなっていません。
要玄寺川に架かっているのが中野橋。架橋は昭和30年(1955)と刻まれています。
古い航空写真を見ると、もともと川の西側は公園ではなかったようなのですが、今は地区の集会施設(本山中町会館)が置かれて公園の一部となっています。
集会所の前には阪神・淡路大震災の慰霊碑があります。
ちょうど訪れたのが1.17震災の日だったため、大勢のお坊さんが読経をしておられるところに出くわしました。皆さん団扇太鼓を持っているので、法華宗のお坊さんだと思われます。この日は何ヵ所かの慰霊碑を巡って拝んでおられたようで、しばらく経つとダンダンと太鼓を叩きながら行ってしまいました。
ちなみに、中野北公園には区画整理事業の記念碑もあります。旧・本山村の中野第二土地区画整理組合が作成したもので、区画整理事業の期間は昭和11年月から14年3月までとなっています。
この地域でやや規模の大きな公園は戦前の区画整理で生まれたものが多く、その記念碑と、阪神・淡路大震災の慰霊碑が共に置かれている例が多く見られます。まちづくりの経過、それから60~70年ほど経ってまちを襲った災害の記録、放っておけば忘れられてしまう出来事の記憶を目に見える形にする役割を公園が担っています。
そして震災から20年が経ち、生まれ変わった新しい公園は、人々にどんな記憶を残していくのでしょうか。
●阪神・淡路大震災を語り継ぐモニュメントについてはこちらも
(2015年1月訪問)
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