旧街道の線形と戦災復興区画で作られた道路の線形の帳尻を合わせるような位置にある直角三角形状の公園で、三角形の鋭角部分が東屋などのある小園地、そこを除けた広い部分が広場になっています。
広場部分はこんな感じ。中央部に広く広場を取り、外周部に高木植栽と少しばかりの遊具を配置するオーソドックスな姿です。
写真の左の方、唐突にバスケットゴールが設置されているほかは、とくに変わったところはなく、何にでも使える汎用性の高い形と言えるでしょう。
遊具は滑り台と砂場などがありますが、そこから離れた場所に、唐突に遊び台のようなコンクリート円柱が置かれているのが不思議です。水道の横で、どう遊ぶべきか?
阪神・淡路大震災の直後には、広場の中央部に自衛隊から提供された被災者の寝泊まり用のテントが並び、その外に自家用テントやブルーシートを使った定形外のテント、そして外周部の樹木を避けるような形で医療チームや支援物資の分配などに使われる家形テントが並ぶ形で、非常に整然とした印象の利用がなされていました。
1995年1月撮影 (株)総合計画機構 所蔵 |
ボード部分は交換されているようですが、今もあるバスケットゴールが写真に写りこんでいます。
広場に溝が掘られているのは、テント周りの排水改善が図られたのでしょう。
1995年1月撮影 (株)総合計画機構 所蔵 |
あと、広場の一角にはコンクリート製の低い円柱とタテの鉄柱、ヨコの鉄棒が組み合わされた遊具があります。
円柱部分を飛び移りながら、鉄柱にしがみついたり、鉄棒にぶら下がったりして遊ぶのでしょうが、作りが単純なだけに、遊ぶ側の想像力が問われます。
また、踏み台昇降、懸垂、テッポウなどの大人の健康運動にも使いやすいのではないかと思います。
一方、鋭角部分はこんな感じ。
花壇などはありませんが、石張りの広場の中にポツポツと高木が植えられていて、子供たちが走り回る広場部分とは一線を画し、落ち着く空間づくりが志向されています。
ここも震災時には隙間なく使われており、植え込みの中のこんなところまでテントが張られていました。
1995年1月撮影 (株)総合計画機構 所蔵 |
このように、災害時に公園が果たす役割を思い起こさせてくれる門口公園でした。
(2015年1月訪問)
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