『日本公園百年史-附表』(日本公園緑地協会)によれば開園は1960年(昭和35年)ということですので、みんなの公園ができるよりも50年も前から、みんなのために頑張ってきた公園だということになります。
園名板は50年以上経っていると言われてもおかしくないような年代物。「区」の字が旧字体で表記されています。
このペンキの色合いというか剥げ具合もいい感じです。
そこから中に入ると、細長い形の石の山遊具があります。
ところどころヒビ割れて草が生えていますが、表面の仕上げから見て、こちらの面は登る用なので割れてても構わないかな、と思います。
でも「それでは反対の面は滑り台になっているか?」と聞かれれば、傾斜がきつすぎるようにも思います。しかし、接地部がえぐれて水溜まりになっていますので、子供たちはこちら面から滑り下りているのは確実なようです。
と言うか、こちらの面もヒビ割れてるし。
それにしても、互いに背を向けたリスとカメは何を表しているのでしょう。
カメと一緒に山に登っていると言えば、ウサギのはずなのですが。
ではウサギはいないのかと思って探してみると、砂場の中にブタと向かい合って座っていました。
それ以外の遊具はツイン滑り台、ブランコ、丸い雲梯など、山遊具に比べれば新しいものばかりで、西ヶ原みんなの公園に負けないように頑張っています。
山遊具のほかに、もう一つ目につくものといえば、冒頭で紹介したのとは別の西側の出入口に覆い被さる建物。
1階部分は公園に向かって通り抜けられるようになっており、2階は町会・自治会が使う部屋になっているようです。公園施設の位置関係などから判断すると公園の敷地内のようなのですが、ほかではあまり見ないタイプの整備手法で目につきます。
写真左手の緑のフェンスの向こう側が小学校のプールになっており、それを除けた隙間にちょうど収まっているところを見ると、同時期に建てられたのではないかと思います。
それであれば、各地で学校プールの建設用地として公園が削られた昭和40年ごろの話かなぁなどと、色々勝手に考えてみました。
いわゆるピロティ建築なのですが、2階を支える柱が凄く細くて頼りない点が建てられた時代を感じさせます。強い地震が来たら建物が崩れて、避難場所になるはずの公園の入口を塞いでしまうことでしょう。
建物自体の老朽化もあるようなので、いろいろ問題がありそうです。
そしておまけ。
「危険」と書かれた注意看板の前に置かれた異国の神様。
公園と隣接する住宅との隙間に入らないようにという警告の意味なのでしょうが、街かどに置かれた立ち小便禁止の鳥居からは、ずいぶんと変わってきたものです。
日経新聞から引用して表示 http://www.nikkei.com/article/DGXNASIH2100D_S4A120C1AA1P00/ |
(2014年9月訪問)
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