795/1000 江古田の森公園(東京都中野区)

2014/09/19

身近な公園 中野区 東京都 遊水地

t f B! P L
江古田(えごた)の森公園は、練馬区と中野区の境界付近を流れる江古田川が大きく湾曲するところ、北方向に岬のように突き出した台地端に整備された面積約6.0ヘクタールの大きな公園です。

敷地のうち、川沿いの1.6ヘクタールほどが都立の北江古田公園として1971年(昭和46年)に開園し後に中野区へ移管、2007年(平成19)年に残りが開園、両者一体として区立江古田の森公園に改称されました。
ただし、現在も都市計画上の名称は「北江古田公園」、区立公園としての名称は「区立江古田の森公園」と異なっているうえ、公園内外の所々に旧・北江古田公園の名称が残っているので、初めて訪れる方は少し迷うかも知れません。

  • 1968年3月 江古田公園(約3.4ha)を都市計画決定
  • 1971年7月 都立公園として北江古田公園を開園
  • 1987年4月 北江古田公園が東京都より中野区に移管される
  • 1998年3月 江古田公園を北江古田公園(約6.0ha)に都市計画変更
  • 2003年4月 国立療養所中野病院跡地の用地取得
  • 2007年1月 江古田の森公園として開園
(東京都および中野区の資料より作成)

また2007年に開園した区域は、1919年(大正8年)に開所した結核患者向けの療養所(後の国立療養所中野病院。1993年に統廃合され移転)の敷地に含まれていたのですが、同時に療養所の外周が都の公共事業で使う樹木を育てる苗圃(苗畑)にもなっていたようです。
この苗圃(地名を取って「野方苗圃」と呼ばれる)と療養所の境界は、毎日新聞のサイト「昭和毎日」で1956年発行の地図を見てもイマイチ判然としないのですが、おおむね旧・北江古田公園の範囲が野方苗圃にあたるようです。

ただ、現地の解説板を見ると「(療養所の)建物のまわりに、空気をもっときれいにしてくれる植物の苗を植えて育てました」と書かれているので、苗圃の中心的な施設は川沿いにあったものの、もっと広い範囲に色々と植えていたようです。

と、来歴をくどくどと述べたのは、予備知識のないまま「ふんふん、江古田の森ね。武蔵野のハケ(崖)上に樹林が残っているところを公園にしたのね。じゃぁコナラの大木とか、エノキ、ムクノキとか生えてるね。」などと思って行ってみたら、確かにそういった樹種もあったのですが、それ以上にヒマラヤスギやユリノキの大木が目について驚いたからなのです。

ヒマラヤスギやユリノキは明治期に導入された外国産樹種なので、苗を育てるため、また療養所の外観を整えるために植えられたものだと考えられます。

ほかに、この地に因む外国産樹種としてアメリカハナミズキがあります。
1915年(大正4年)に合衆国から送られたアメリカハナミズキは、野方苗圃で育てられ、やがて街路樹などとして全国に広まっていったそうです。
こちらは公園として整備される頃には残っていなかったのでしょうか、世田谷区にある都立園芸高校に残っていた直系の子孫木から取られた苗木が植えられた林がつくられていました。

現地では樹種や林冠(日照)の状況などに応じて、下草の多いところ少ないところが変化しながら森が続きます。日常管理の中では、あまり下草刈りはおこなっていないように見受けられました。

その中を縫うように園路が通っており、散策やジョギングなど思い思いの利用ができますが、日が暮れてからは少し怖いかも知れません。

また草原や湿地ビオトープなどもつくられており、森を中心に多様な生物生息場を生み出す努力がされています。
広場の向こうに見えるのは、高齢者・障害者向けの福祉施設です。

この公園を含む一帯が災害時の広域避難場所(街中を焼き尽くすような火災時に逃げ込む場所)に指定されているため、地下貯水槽やかまどベンチなどの防災設備も整備されていました。

ここまでが崖上にあるエリアで、崖下の方に降りると旧・北江古田公園のエリアになります。
崖上も個性的な公園でしたが、崖下は調整池を兼ねた公園になっており、江古田川が溢れそうになったら公園内に水を逃がす構造になっています。

これが遊具広場ですが、右に見える堤防の高さ分まで水が入ってきます。
水が入った時の様子は、中野区のホームページから引用した写真でご覧ください。
普段の様子
水が入った時の様子
中野区役所HP「江古田の森公園調整池について」より引用して表示

●中野区HP 江古田の森公園調整池について

こちらは川との境にある越流堤。川の水位が一定ラインを越えると、ここから水が入ってきます。

川は、訪れた時はこんな感じで、川底の溝にもほとんど流れていないくらいだったのですが、周囲は完全に市街化されていますので、大雨が降ったら一気に流れ込んで来ることでしょう。

遊水地を兼ねた公園は時々あるのですが、実際に流れこんでくるのは水というよりは「ゴミ混じりの泥水」なので、水を抜いた後も清掃、泥落とし、洗浄、消毒、さらには剥がれた舗装のやり直し、倒れた樹木や折れた枝の撤去、花壇の植え替え等々が必要で、再開までで1ヵ月、全部が使えるようになるには数ヵ月くらいを要することはザラです。
公園を管理する側、使う側としては、なるべくなら川だけ通ってすんなり流れていって欲しいのですが、市民の生命・財産を守るためにはそうも言っていられません。

ここから、さらに川沿いを南に下ったところも公園の区域なのですが、訪問時は隣接地の官舎跡でUR都市機構がなにやら工事をしており、その関連でしょうか、公園の一部も立入禁止となっていました。
フェンスの向こうにカメラを差し入れて写したのが、下の写真。

江古田の森公園との正確な境界などはわからないのですが、最終的には一体的に利用できる空間になると思われます。
これまでに見てきた公園内の斜面林が、どちらかと言えば保存樹林として手付かずになっているのに対して、ここでは大径木だけを残してかなり伐採されているようです。
今ある樹林をどう残して、次の世代をどう育てていくのか、総合的に見てどのような計画になっているのか、少し気になるところでした。

中野区役所による公園紹介ページ

(2014年8月訪問)

ブログ内検索 Search

アーカイブ Archive

地図 Map

問い合わせ Contact

名前

メール *

メッセージ *

Facebook Page

QooQ