同じ区間の廃線敷を使った公園として、これまでにもNo.444 浜田公園、No.445 西灘公園が登場していますが、その二つの中間にあたります。
基本的には、柵に挟まれた細長い敷地の両端に並木があり、その下を狭い遊歩道が続いていく格好です。
ところどころで遊歩道が湾曲して片側に寄せられ、広くなったところにポツリポツリと遊具が置かれています。
たまには、遊歩道の真ん中で動物たちが群れをなしており、イノシシとイタチという、なんだかあまり可愛くない動物たちに睨みつけられるのはご愛敬。
線路跡すべてが公園となっているわけではなく、両側に道路を取った残りの真ん中を公園にしているため、必要以上に細長い感じが出ています。
今の時代なら、もう少し道路と公園との境界処理や車の通し方を工夫した「コミュニティ道路」として整備することもできそうですが、当時は子供の交通安全などを重視した歩車完全分離が採用されたのでしょうか。
もっとも、もしコミュニティ道路になっていたら、阪神・淡路大震災の時のような避難生活の場、震災ゴミの置き場としての利用はできなかったと思いますので、その時その時の意味はあったと考えるわけですが。
1995年1月撮影 (株)総合計画機構所蔵 |
(2014年5月訪問)
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