567/1000 中央公園(山形県酒田市)

2014/01/19

山形県 酒田市 身近な公園

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山形県酒田市は、1976年(昭和51年)に中心市街地の商店街などを焼く大火に見舞われました。火元は繁華街の中の映画館で、晩秋の夕方17時40分頃に出火、明朝5時頃まで一晩かけて約22.5haを焼き尽くすものでした。
空襲や地震などの原因ではなく失火を原因とする都市大火は、木造住宅が多い日本では戦後期まで各地で起きていたのですが(本ブログでも、昭和20年代に大火に見舞われた長野県飯田市鳥取県鳥取市などを訪れました)、昭和30年代以降しばらくは規模の大きなものは鳴りを潜めていました。そうした中、酒田大火は約20年ぶりに国内で発生した、そして今のところ最後の都市大火だと言えます(※ その後も地震を原因とするものは、阪神・淡路大震災時の大火などが起きています)。

その大火の当時、中心市街地には目立った公園がなかったものの、小さな緑地や社寺有地などのオープンスペースが避難などに役立ったことから、復興においても公園や並木のある通りが積極的に整備されました。この一環として、商店街の中心に新たに整備されたのが酒田市の中央公園です。

しかしこの公園、計画的に整備されたにしては、複雑な形状をしています。
写真で見てもわかりにくいと思いますが商店街に面した公園としての中心部分(左端)と、道一本挟んで3~4メートル地盤の高い一角(右端)を、間に通る道路に屋根掛けをした屋上部分(真ん中)で繋いで一つの公園としています。
3つのブロックの一体化といえばそうなのですが、屋根掛けが高すぎて横から見たら凸型をしており、中央の出っ張ったところには両側から階段で上り下りする構造になっているため、それほど一体感はありません。

こちらが商店街に面した中心部分。
整備当初の計画図を見ると広場の中心にも樹木があったようですが、リニューアルによって全天候舗装のイベント広場仕立てになっており、ステージを活かした使い勝手の向上が図られています。

こちらが一段高い一角。隣接地に天満宮があり、それの前庭のような雰囲気もある園地仕立てになっています。
訪れたのが11月の終わり頃でしたので、すでに灌木植栽には冬支度の雪覆いがされています。

そして、これが2車線道路に屋根掛けをした屋上部分。
芝生や植栽などの屋上緑化はされておらず、植え枡やプランターでの緑化になっています。近年の緑化技術から見ると寂しい感じもしますし、舗装がかなり傷んでいるのも寂しい気分を増幅させてきます。
整備から30年以上が経過しているので、そろそろリニューアルが必要なように思いますが、中心市街地の様相が変わって下の道路を車がビュンビュン通ることは減っていると思うので、リニューアルの際にはこの屋根掛け部分そのものの扱いを考える必要が出てくるでしょう。

中心に立つのは、酒田市生まれの彫刻家・高橋剛の作品。
裸婦像という西洋的なものと、平仮名の「さ」の字と日本海の波、北前船の姿など日本的な素材満載の酒田市章(平成の大合併以前のもの)との取り合わせが、なんとも言えぬ珍妙さを醸し出しています。

総じて、ちょっとしっくり来ないところの多い中央公園(酒田市)でした。

酒田市HPより「酒田大火」

(2013年11月訪問)

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