公園の一番奥に明治天皇の行在所の記念碑跡があるので、その前庭として確保された用地ではないかと思います。
いちおうブランコ、鉄棒といった遊具もあるのですが、全体的には庭園風の仕立てとなっており、落ち着きがあります。
こちらが行在所記念碑の跡。例によって上物は戦時中に供出されて、台座だけが残っています。
●現地の解説板より『酒田市指定文化財 史跡 明治天皇御巡幸行在所跡』
この場所は36人衆の一人、尾関又兵衛の家があった所で、明治14年の明治天皇が東北、北海道御巡幸の頃には東田川郡田谷村の豪農渡辺作左衛門が買い取り、出店としていた。
はじめ、行在所は本間家の別荘にすることとしていたが、二転三転のすえ、作左衛門宅に決定した。僅かの期間に6430円の大金を投じて改造し、明治14年9月25日、陛下をお迎えした。 大正11年、酒田町議会の決議で行在所跡地に記念塔を東京美術大学教授津田信夫の設計と鋳造によって完成したが、昭和17年、戦時の金属回収で供出し、現在は台座のみが残されている。
酒田市教育委員会
ちなみに解説板では「豪農」とされている渡辺作左衛門ですが、地元紙・庄内日報の記事によれば豪農の家に養子入りした後に米商、倉庫業など一代で手広く事業を広げ、晩年には放漫経営であっさり没落したという豪放な人物だったようです。
ですので、江戸時代から地域経済を動かしてきた本間家を押しのけて行在所の名誉を獲得するために、色々と政界工作もしたようで、それが解説板では「二転三転のすえ」と書かれているのでしょう。
また郷土の偉人達の略歴としては珍しい「吹き矢が得意」だったそうです。そんなの初めてみました(笑)
(2013年11月訪問)
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