ザビエルと言えば鹿児島(上陸地)、大分(銘菓ざびえる)、山口(サビエル記念聖堂)あたりでの活動が有名で、あまり堺には縁がなさそうなのですが、なぜザビエル公園なのでしょうか。
じつはザビエルは、全国での宣教の許可を得るために天皇と足利将軍への拝謁を試みており(失敗に終わったのですが)、山口から京都へと海路で向かう途中、堺に上陸し、この公園の場所にあったキリシタン豪商・日比屋了珪(ひびや・りょうけい)の屋敷に滞在したそうです。
ネット資料によれば、ザビエルが堺に入ったのが1551年1月上旬、その間に11日間だけ京都へ行き(天皇、足利将軍への拝謁を願うも失敗)、戻って2月上旬には堺を離れたことになっています。ということは、堺に滞在したのは長くても1ヵ月くらいでしょうか。
それから400年後の1949年(昭和24年)、堺への来航400年を記念してザビエル公園が開かれました。1551+400では1949年になりませんが、新暦・旧暦とか、400年目だったりとか色々あるのでしょう。
ということで長い前置きを経て現在のザビエル公園なのですが、現在の公園はそれほどザビエル色の強いものではありません。
むしろカラフルすぎるコンクリート遊具や、ちょっとワイルドでおそらくもう使っていないジャブジャブ池(徒渉池)の方が目につくくらいです。
ザビエル色の出ているものとしては、公園開設時に設置された「聖フランシスコ・ザビエル芳躅(ほうたく)の碑」
そして1970年(昭和45年)の大阪万博の際にポルトガル館に出展されたものを移設した、ジョルジ・ヴィエイラ作「東と西の接点」の二つくらいです。
これら2つのモニュメントを中心にした一帯は「記念碑の森」と名付けられており、ほかにも色々と記念碑が集まっています。
これは「堺鐡砲之碑」
戦国時代には火縄銃の製造拠点だったことから、堺火縄銃保存会が2000年(平成12年)に創立20周年を記念して建立したものです。
今も自転車産業などがある堺では、そうした金属加工業の歴史の一ページに鉄砲づくりを置いているようです。
これは伝統工芸品・堺線香の材料となるタブノキ。横に解説板のある記念植樹です。
木の陰の、そう遠からず植栽に埋もれてしまいそうな場所には「枸杞園跡」と刻まれた石柱が立っていました。
これだけでは何も分からないので調べてみると、長崎で清国商人の子供として生まれた趙陶斎(1713~1786)という書家がおり、この人物が晩年、堺の商人の別邸に住み暮らして、裏庭を枸杞園と称していたということです。ということは、さすがにザビエルの時代から200年も経った18世紀の中頃すぎには、日比屋さんの家ではなくなっていたということですね。
『堺市史』(昭和5年刊、昭和52年復刻 清文堂出版)のうち人物や名所旧跡を紹介する第7巻がネットで全文公開されていて便利なのですが、それによれば「元祿二年の堺大繪圖櫛屋町濱にある具足屋治兵衞七箇所の掛屋敷中何れが枸杞園となつたか、又何れが陶齋當時の具足屋治兵衞の所有として傳つたかは不明であるが、右七箇所は總て戎小公園の區域内となつてゐるから、同公園の中に舊址を求むべきである。」とあります。
こちらは慈眼院之址の碑。
これも現地ではこの碑一本だけで、いったいどういうお寺なのかよく分かりませんが、先ほどの堺市史によれば「元祿六年四月靈龜の祠を建て、島の鎭守とし、辨財天祠と稱し、傍に靈龜山慈眼院を建てた。」とあり、明治の神仏分離まで、この場所で堺戎神社(現在は公園から100メートルほど東にあり)と合祀されていたお寺の跡でもあるようです。
こちらは旭橋の親柱とおぼしきもの。公園の横を流れる川(というか戎島との境界をなす水路)に架かっていたものだと思われます。
アサヒビールにも縁があるとか無いとか聞きますが、詳しいことは知りません。
公園の南側にある(財)自転車産業振興協会の事務所前には、自転車部品で有名なシマノの創業者である島野庄三郎の顕彰碑。
現状がどうかはよく知りませんが、堺には自転車メーカーが多かったことから「自転車のまち」とも言われています。
ちなみに、記事中ではずっとザビエル公園と呼んできましたが、都市公園としての正式名称は「戎公園」で、ザビエル公園は公式愛称のようなものです(公園の開園当初からダブルネームで通しているようです)。
「戎」は、先ほども登場した堺戎神社に由来するものと思われますので、見事に東西折衷をなしているのではないかと思います。ジョルジ・ヴィエイラさんも納得。
もっとも、途中で引用した昭和5年刊行の『堺市史』に「戎小公園」という記述が入っているところを見ると、現在の公園が開設された1949年以前にも公園があったようです。この付近は空襲で焼かれて戦災復興区画整理が入っているので、公園を作り直す際に「ちょうど400年目だし、せっかくだからザビエルの名前を入れよう!」となったのではないかと想像します。
●堺市による公園紹介ページ
(2013年7月訪問)
【2017年2月追記】
別冊少年チャンピオンに連載されているマンガ「セトウツミ」(作:此元和津也)で主人公の高校生2人がずっと喋っている場所のモデルがザビエル公園の横を流れる川沿いの広場だそうで、2016年に公開された映画版(監督:大森立嗣、主演:池松壮亮・菅田将暉)でも、その場所がロケ地に使われたそうです。
どうせなら公園の真横だと良かったのですが、100メートルほど離れた場所だったのが残念。
誰もセトウツミの突っ込みはないの?
返信削除匿名さま
削除ブログ作者です。コメントありがとうございます。
映画版の「セトウツミ」で、公園そばの川べりが主要なロケ地になっているのですね。知りませんでした。
PVだけしか見ていませんが、二人が座っているのは公園から100メートルほどしか離れていない場所ですね。公園の真横ならなお良かったのですが。
全編ちゃんと見たら、公園の中のシーンもあるのでしょうか?
残念ながらどこからもツッコミはありませんので、頂いた情報から、記事を少し加筆してみようかと思います。
今後とも、本ブログをよろしくお願いします。