●現地の案内板より「宮浦石炭記念公園」
宮浦鉱は、明治20年(1887)2月に開坑し、昭和43年(1968)までの81年間、三池炭坑の主力坑口として約400万トンの石炭を産出しました。
ここにある煙突および大斜坑は、石炭採掘と大牟田発展の歴史を物語る重要なメモリアル的建造物であり、日本の近代史、産業史を知るうえで極めて貴重な施設です。
大斜坑のプラットホームや建造物内には、実際に使用された人車や石炭採掘機械などを展示しています。
公園門は、奥に保存されている煙突とイメージをあわせたのでしょうか、煉瓦造りの瀟洒なものになっています。
遠くからもよく見えてシンボルになっているのが1888年(明治21年)製、高さ31.2m、基部直径4.3mの煉瓦造り煙突。蒸気動力のボイラーの排煙に使われたということで、国の登録有形文化財になっています。
現地には解説がなくてハッキリと分からなかったのですが、蒸気動力で動かしていたものは、こちらの車両なのでしょうか?
斜坑を通って人が坑内に出入りしたり、物資の輸送に使われたりしたものです。斜坑を進むため、車両そのものが斜めにつくられています。
先頭車両はありますが、自主動力で後続車両を牽引するわけではなく、ワイヤーロープの巻き揚げ機で(下りは重力でもって)動きます。
展示されているのは、先頭車、普通車2、負傷車1、特定車1、救急車1という編成です。
1編成6両のうち、ケガ人向けの車両が2両ですので「炭鉱って、そこまで危険な職場だったのか!?」と思いますが、おそらく色々な車両を見せたいという展示の都合だと思います。
それに実際は、6両どころではない長編成で、もっと沢山の人を載せて往き来していたのではないかと想像します。
また普通車と特定車の違いはよくわかりません。普通車の方が1両あたりのイスの数が少ない(イスの前後間隔が広い)ので、むしろ特定車の方がランクが低いようです。
斜めの坑口のほかに、垂直に掘られた立坑もありました。こちらは第一立坑跡。
地上に煉瓦が並べてあるだけなので、パッと見ても何かはよくわかりません。
公園からは、三池炭坑の流れを汲む三井化学、三井金属鉱業の大牟田工場が望めます。
広大な工場内には専用線が引き込まれており、小さな電気機関車が走っていました。もっとも、坑道行きの車両に比べれば、ずっと大きくて安心感がありますが。
ちなみにこちらの公園、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の構成要素の一つとして、世界文化遺産への登録を目指しています。今年(2013年)に国の有識者会議、政府がユネスコへの推薦を決めたのですが、訪れた時はこの決定前でした。
これから話が進んで登録されるようなら、富士山ほどではないでしょうが観光客が増えると思うので、駐車場やトイレなどが不足するかも知れません。
●世界遺産登録に向けた情報サイト
●日本の都市公園100選&日本の歴史公園100選
(2013年5月訪問)
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