485/1000 笹林公園(福岡県大牟田市)

2013/10/09

回転椅子 石碑めぐり 大牟田市 福岡県

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大牟田市役所の庁舎は、戦前の鉄筋コンクリート製。中央に塔屋の乗った官庁建築で、非常に存在感のあるものです。しかしその隣には、庁舎に負けず劣らずの存在感を持つ笹林公園があります。
本ブログで言うところの「中央公園(役所の近くにある古めの公園で、記念碑の類が集まっているもの)」の雰囲気がプンプンする公園です。
笹林公園(福岡県大牟田市)

市役所から公園に足を踏み入れると、グラウンド越しの正面に巨大な石碑が林立しているのが見えます(写真だと分かりにくくなるのですが)。
笹林公園(福岡県大牟田市)

まず大牟田といえば炭鉱ですので、「三池炭山創業碑」から。
三池炭鉱は明治期に官営として本格的な採掘が始まり、後に三井に経営が移ってから隆盛を極めます。この碑は1927年(大正6年)の大牟田市制施行にあわせて除幕されたもので、官営時代を中心に三井による経営が始まる以前の三池炭鉱の歴史を顕彰して建てられました。
三池炭山創業碑について詳しいサイト
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忠魂碑は、まぁ普通ですね。
砲弾型という形状、東郷平八郎の揮毫というのもありがちです。
東京にある東郷元帥記念公園はこちら
笹林公園(福岡県大牟田市)

こちらは慰霊碑なので戦災関係かと思いましたが、よく見ると「爆発赤痢」と呼ばれた1937年(昭和12年)の大牟田市における赤痢大流行の犠牲者の慰霊塔でした。
裏面にわりと読みやすい碑文があり、それによれば「昨日迄大産業都市トシテ殷賑ヲ極メシ本市ハ 忽ニシテ阿鼻叫喚ノ巷ト化シ 官民必死ノ防疫ニモ拘ラズ竟ニ一萬数千ノ罹患者ヲ出シ 七百十二名ノ精魂ヲ奪ハル」状況だったということです。
笹林公園(福岡県大牟田市)

一番わからないのが、この機雷。碑銘や解説板など一切無く、ただ台座の上に機雷が置かれています。
「機雷が置かれています」と書きましたが、現地では機雷かどうかの自信もなかったので、市役所内の教育委員会まで行って「あれって機雷ですよね?」と確認をとってしまいました。
設置した頃は言わずもがなで、置く方も見る方も設置目的や教育的効果を合意していたのでしょうが、時代が変わってさっぱり分からんというタイプです。
笹林公園(福岡県大牟田市)

上記の4つは並んでいるのですが、ほかの場所にも「九州自動電話創始之碑」という記念碑があります。
自動電話とは、それ以前の交換手を介して人手で繋いでいた電話から、ダイヤルで直接相手にかけられるようになった電話のことですが、今となっては自動でない電話が1979年(昭和54年)まで残っていた方が驚きです。
そして自動電話が九州で初めて導入されたのが大牟田市というのは、当時は九州の産業の最先端地だったということなのでしょう。
笹林公園(福岡県大牟田市)
笹林公園(福岡県大牟田市)

九州ではじめて自動電話が使われましたのは、昭和8年3月26日、当地大牟田市です。
その後、逐次九州各県に自動電話の普及をはかってきましたが、46年後の昭和54年2月21日に大分県、鹿児島県、同年3月14日に沖縄県の自動化を完了し、九州及び全国の電話はすべて自動電話となりました。
ここにこれを記念し、第30回電信電話記念日にあたり、この碑を建立しました。
なお、この碑は大牟田の地を起点に九州、沖縄8県への自動化の拡がりを8つの波紋で現しています。

そしてこれは記念碑ではなく石造のベンチなのですが、そこに企業の広告が刻まれています。

  イラヌモノハナンデモカイマス(いらぬ物は何でも買います)
  諸会社御用達 諸油古銅鉄商
  人ノナマクラハカイマセヌ(人のナマクラは買いませぬ)

肝心の会社名のところが擦れてよく読めないのですが「富士三商会」という会社の広告のようで、今で言うリサイクル業ですが、気の利いた面白い広告だと思います。
側面には「市政記念」と刻まれていますので、これも1927年から置かれているということでしょう。
笹林公園(福岡県大牟田市)

ほかにも年代物のベンチ、年代物のトイレなど、コンクリート造形物に見るべきところがあります。
笹林公園(福岡県大牟田市)
笹林公園(福岡県大牟田市)
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もちろん、それだけではなく遊具広場やテニスコートもあるのですが、回転椅子以外は他所から行って見るほどのものではありません。

(2013年5月訪問)

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