丘の低いところは広場になっています。
多目的広場と遊具広場の区分けがあまりはっきりしておらず、広い草敷の広場の真ん中に、急に山遊具が置かれているような仕立てです。
山遊具はかなりひび割れており、そこから草が生えてきているような状態で、あまり良い管理状態ではありません。
プレーウォール。緩やかな曲線が遊び心を刺激します。
たぶんローラースケート場。
古いものですが自転車で走り回ったような跡があったので、何らかの利用はされているようです。
丘の上の方には、戦時中の高射砲陣地の跡があります。
巨大な炭坑や軍需工場を抱えていた大牟田は数次に亘る空襲を受けており、市街地はほぼ焼き尽くされました。実際のところ、高射砲がどれほど役に立ったのかは不明です。
●現地の案内板より「高射砲跡」
この5つ小山は、太平洋戦争中(1941~45年)に造られた対空砲火の陣地の跡です。陣地の高さは約2m、直径は約3mほどで、「ハ」の字に開いた入り口から入ると、爆風を弱めるために渦巻き状になったコンクリート製の壁があり、壁の外側は土を盛り上げています。
かつて、市内各所にあった対空砲火の陣地も現存するものはここだけであり、数少なくなった戦争の証人であります。
大牟田市 都市整備部 公園緑地課
さらに丘の反対側の斜面は住宅地になっており、そちらに隣接する一角は遊具広場、健康遊具広場として整備されています。こちらは丘の下の大きな遊具広場とは違って、現代風の揺れる動物などが設置されていました。
高射砲、昭和の遊具、現代の遊具と、時代の歩みを見せてくれる宮浦公園でした。
(2013年5月訪問)
0 件のコメント:
コメントを投稿