小禄(おろく)は那覇市の南西部、豊見城市と接する地区の名称で、1954年に那覇市と合併するまでは小禄村でした。
海沿いには那覇空港や軍港などがありますが、少し内陸に入ると区画整理のされた住宅地が広がっています。空港やモノレールなど交通の便も良いことから、島外からの移住者にも人気の高い住宅・文教地区です。
とは言え、終戦直後は小禄村の総面積の83%が米軍に接収されており、返還される度に少しずつ区画整理が入り、今の街の姿になってきたといいます。このため、区画整理が入った時期によって街の雰囲気が異なっており、公園についてもバラエティに富んだ時代の匂いが感じられます。
小禄金城(おろくかなぐすく)公園は、その中で1980~84年にかけて返還された金城地区の中心にある公園で、開園は1990年。全国的にみれば里山の価値が見直され始めた時代に計画されています。
ここでも、周囲が開発される中で丘陵上部という地形と植生、とくに丘の上の拝所の森を残そうという意図がよく読み取れる仕立てになっています。
基本的には丘陵の森は保全し、山裾には少しだけ平場を取って、外周に水の回廊をまわす構造になっています。水の回廊がコンクリート柱のならぶ神殿風になっているのは、沖縄には多く見られるデザインです。
南側の山裾にずらりと並ぶ赤瓦の東屋。
沖縄では1980年代半ば頃から公共施設の屋根に赤瓦を使うことが増えてきており(景観ガイドラインなどデザインコードになったのはもう少し後だったように思いますが)、ここでも公園の東屋、トイレ、管理小屋など軒並み(文字通り!)赤瓦になっています。
赤瓦もずらずら並びすぎると単調になりますが、ここでは緩い傾斜地に少しずつ段差のついた屋根が並ぶので、リズミカルな感じがして良いのではないかと思います。
東側の平坦地に並ぶものと比べてみると...どうでしょうか。
ちなみに軒瓦にはしっかりと那覇市の市章。片仮名のナハを図案化したものです。
北側にはちょっとした広場があります。ゲートボールにちょうど良いサイズです。
はっきりと広場になっているのは、園内ではここだけです。
西側には外周の水路に通じる水の吹き出し口があり、その横から丘に登る石畳道が続きます。このあたりの石の使い加減も、20年くらい前の沖縄で流行ったデザインのような気がします。
斜面の芝生地は、あまり繁りすぎることもなくきれいに管理されています。
そして石畳道を登っていくと、丘の頂上には金城御嶽。狭いながらも周囲の森が残っているので、良い感じの御嶽です。
ちなみに、ここの赤瓦は那覇市のものではありませんでした。
(2012年12月訪問)
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