関東大震災からの復興事業の際には4ヵ所が広場として整備されたところが多いはずですが、現在の橋詰を見ると交番、地蔵堂、お社などが置かれていることも多く、4ヵ所すべてが広場として残っていることばかりではありません。
その中で、美倉橋の一本東にある左衛門橋では、4ヵ所の橋詰広場がすべて別の児童遊園となっています。さらに、それらが3つの区にわかれているという点が特筆されます。
Googleマップで見るとわかりますが、橋の中央と神田川の中央に区界が走っているため、橋の西側が千代田区、北東側が台東区、南東側が中央区となっているのです。
まず千代田区側から。橋の北西にあるのが「左衛門橋北児童遊園」、南西にあるのが「左衛門橋南児童遊園」です。
北児童遊園は、橋詰広場にしては樹木植栽が多めで、その分はっきりとした広場空間はありません。斜めに横切る歩道が付けられていることから、歩行者のショートカット用として意図されているようです。
南児童遊園は、中程を東西に走る細い道で分断されており、もともとの橋詰広場、あるいは児童遊園としての区域がハッキリしません。
ちょうど東京に雪が降った後だったので、雪除け場として有効に使われていました。
続いて台東区。橋の北東にある「左衛門町児童遊園」です。ちなみに左衛門町という町名は、すでに50年ほど前の町名変更で消滅しています。
ここは小さいながらも複合遊具や屋外時計などが置かれ、かなり児童遊園然としています。
大型のプランターや防災器具庫などもあって、地域の方が一定の関わりを保っていることが伺われます。
最後に中央区。橋の南東にある「左衛門橋南東児童遊園」です。
ここもサクラなどの樹木植栽があり、トイレ、揺れる乗り物、ソーラー発電付きの公園灯兼時計などがあり、児童遊園としての姿が整っています。
おしなべて見ると、近隣にほかにも橋詰の児童遊園を抱える千代田区では、ここは本来の橋詰広場に近づけるような改造をしており、台東区、中央区では旧来の児童遊園の状態を保っているようです。
(2013年1月訪問)
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