神田川(外堀)から分流して皇居の東側を流れて隅田川へ通じている日本橋川ですが、江戸時代には神田川から切り離されて行き止まりの堀になっていました。その行き止まり周辺の地名が堀留です。明治になって閉塞部が開削されて現在のような川の姿になりました。
その堀留に、関東大震災後の1926年(大正15年)にかけ直されたのが現在の堀留橋です。
No.139、147などに登場しましたが、関東大震災からの復興事業で架けられた橋梁には、計画的に橋詰広場が設けられています。
この堀留北児童遊園と、明日掲載される予定の堀留南児童遊園も、ちょうど橋の西詰の南北にあるので、おそらくその時に設けられた橋詰広場の流れを汲むものだと思います。
さて堀留北児童遊園は、すぐ隣に都営住宅が建てられており、その玄関横にあるため都営住宅の前庭のような性格も帯びています。
敷地は全体的に石張りなのですが、植え枡部分には所狭しとユリノキ、アオキ、コブシなど多くの樹木が植えられており、前面道路のイチョウ並木ともあわさってちょっと窮屈なくらいです。しかし、この窮屈さが住宅の前庭感を高めていると思います。
遊具は東屋・砂場と一体化した滑り台が1基。しかし、東屋とは言いましたがベンチがあるわけでもなく、急な雨宿り以外には使えなさそうです。
樹木に囲まれている上に、ベンチも一つしかないので、そこに誰か座っていると入っていくのを憚られる雰囲気があるのが難点です。後ろ姿の写真だけ失礼します。
ところで、この場所は東京理科大学の発祥の地だそうで、公園前の道路に立派な石碑が建てられています。1881年(明治14年)設立当時の名称は東京物理学講習所。この地にあった私立小学校の一部を借りて、夜学として創立したそうです。
ちなみに橋を渡った東詰には橋詰広場はないのですが、お地蔵様が祀られており、その横には幅広の緑地帯があります。もしかするとこれも橋詰広場の名残なのかも知れません。
お地蔵様の方は傳蔵地蔵尊といって、橋を架け替えた時の棟梁(傳蔵さん)が祀ったお地蔵様だそうです。
●千代田区観光協会 堀留橋のページ
●東京理科大学 理窓会アルバム
(2012年11月訪問)
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