274/1000 四谷見附公園(東京都新宿区)

2013/02/18

巨樹巨木 新宿区 身近な公園 東京都

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四谷見附公園は、JRの四ッ谷駅前から南に300mほど下がったところ、赤坂迎賓館の正面西手、四谷中学校と学習院初等科との間にある公園です。
実際の四谷見附(江戸城の城門の一つ)はまさに四ッ谷駅の場所にあって現在も道端に石垣の一部が残っていますので、それを公園にしたものではありません。

この場所は明治からの宮内省用地で、1921年(大正10年)に赤坂離宮前記念公園として当時の東京市に委託管理・開園されたものですが、後に公園をつぶして美術館を建てるとかなんやかんやとあり、最終的に新宿区の公園に落ち着いたようです。
このあたり、赤坂離宮前記念公園であったことは新宿区のサイトにも書かれているのですが、それ以外はネットでの拾い集めなのではっきりしません。そもそも、わざわざ赤坂璃宮の前に「記念公園」をつくるのですから、きっと皇室関係で記念すべきことがあったと思うのですが、それは何だったのでしょう?

そうした疑問はさておき、この公園の特徴は、なんと言ってもプラタナスの巨木です。公園の中央に鎮座する高さ30m超えの1本は、見る人を圧倒する大きさです。

プラタナスが日本に入ってきたのは明治になってからで、新宿区の広報によれば初めて移入されたうちの1本がこの樹だということです。すなわち開園以前の宮内省用地だった時代に植えられたものですので、最初に公園にする時点で、この樹をシンボルツリーとして育んでいこうと決めた先達に敬服します。
その後に公園自体は改修されていると思われますが、それでもこのプラタナスを眺めることを中心にして全体が形作られています。

また北寄りの遊具広場にも、もう一本のプラタナスがあり、中央のものほどではありませんが4階建ての中学校校舎を軽々としのぐ高さです。ただ、こちらは全体をしっかりと眺められるポイントがなく中央のものとは扱いに差があります。二番手の哀しさでしょうか。

ほかに南寄りの歩道沿いにも、ひときわ目立つイチョウの巨木もあります。こちらは1916年(大正5年)の植樹だとはっきりしているそうです。

『われらの記念樹』
大正5年(1916)3月、學習院初等科卒業生49名は同年5月6日、この銀杏の苗木を卒業記念として四谷仲町の院の一隅に植えた。
大正15年、その若木は鐵道省四谷驛信濃町驛間隧道新設工事のため、この地に移植され生長を続けている。
昭和49年(1974)9月古稀を超えた24名の生存者は恩師九十三翁岡崎常太郎先生と共に銀杏の由緒を永く構成に傳えるためこの碑を建てるものである。

●新宿区による公園紹介のページ

(2012年11月訪問)

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