No.237のはりみず公園から少し東へ行くと、また別の港湾関連の緑地公園があります。こちらの愛称は「ひらりん公園」で、平良(ひらら)港とマリンを結びつけた愛称だそうです。
道路と港湾とに挟まれた細長い敷地で、いちおう公園として開園してはいるのですが、港湾直近の後背地にはイマイチ似合わない草っぱらが続くだけです。
あまりに何もないので、今はまだ大まかな整備が済んだ段階で、これから道路や港湾など隣接地の事業と歩調をあわせて樹木植栽や施設整備を進めていくのではないかと想像します。これで出来上がりだったら、ごめんなさい。
今のところ目立つ施設は、国道に向かってそびえ立つ「門」くらいです。内地の公園では最近みかけませんが、沖縄の公園では出入り口にシンボル的な門が設置されていることがよくあり、勝手に「公園門」と呼んで注目しています。がしかし、ここまでハッキリと「門」になっているのは珍しいと思います。
楼門の2階部分に昇ることもできますが、昇ったところで上の写真のような景色が見えるだけなので、あまり意味はありません。
(2012年10月訪問)
【2016年2月追記】
記事中にある巨大な門には、解説板が付いています。
2012年10月に訪問した時にも写真を撮ったのですが、ピンボケになっていてブログに掲載するには耐えられない写真になっていました。
この度、久方ぶりに再訪して写真を撮り直してきたので、掲載します。ただし、転記内の「濱客」は「賓客」の誤記ではないかと思います。
●現地の解説板より
宮古圏域は、古琉球から近代に至るまで、人も物もすべて平良港から往来していた。現在のように航空路線が発達する以前は、人流・物流の拠点はすべてこの平良港からであった。それもつい40年前の話である。
かつての平良港は、宮古唯一の総合庁舎「蔵元」が控えていた。
近代初期まで船舶の往来は蔵元で管理され、平良港と蔵元は不離一体の存在であり、当時の宮古圏域経済の玄関口としての役割を担っていた。
廃藩置県後は、県の出先機関である宮古島役所、ついで宮古島庁が開設されたが、島庁移転後は一時濱客(※ 原文ママ)の宿舎として活用されていた。
蔵元本体は1907年(明治40年)に消失し、回りを取り囲んでいた石垣は、大正初期に初めて近代工事が行われた平良港埋立工事の際に資材として利用された。蔵元の外郭は入口の楼門を中心に、周囲を高さ約3.6メートルの石垣で囲むものであった。この東屋(緑地施設)は、蔵元の楼門を参考に復元し、平良港の歴史的景観を再現したものである。
平成23年3月31日(2011年)
ひらりん公園で、宮古島には生息しないはずのハブが見つかったというニュースがありました。
返信削除ハブが海を泳いでくるわけはないので、船荷への紛れ込みなど偶然が重なったか、人為的に運び込まれたかということになります。
こういうニュースを聞くと、港湾最前線の公園緑地には色々な生き物が紛れ込んでくる可能性があるということを実感します。
また「昼飯を食べていたらハブを見つけたので、素手で捕まえてペットボトルに詰めた」というわかりやすいツッコミどころにも驚きです。
『宮古島でサキシマハブ発見 生後半年~1年半』沖縄タイムス 2013年4月23日(火)16時48分配信
ハブが生息しないとされている宮古島で19日、サキシマハブが発見され、捕獲された。県福祉保健部は23日、発表した。県衛生環境研究所によると、見つかったサキシマハブは全長44センチ、重さ16グラムのオス。大きさから推測して、生後半年から1年半の若い個体とみられる。
宮古島市の平良港第一埠頭近くにあるひらりん公園内の公衆トイレ近くで、昼食中の市民が発見。素手で生きたまま捕獲し、ペットボトルに保管したという。その後、県宮古保健所に持ち込まれ、鑑定のため、凍死させられたという。