203/1000 新都心公園(沖縄県那覇市)

2012/12/09

沖縄県 大きな公園 那覇市

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那覇新都心は、1987年(S62)に全面返還された米軍の住宅施設の跡地を区画整理して開発されたニュータウンです。
この丘陵一帯には、戦前は安謝、天久などの集落があり、集落周辺は農地や山林になっていましたが、沖縄戦の際には北から南へと向かう米軍に対する防衛ラインとなり、激しい戦闘が繰り広げられました。その後に米軍施設となって開発され、返還後の区画整理もあったため、往時を偲ばせる要素は限られます。

現在の新都心は、おおむね1.5km四方くらいの範囲に業務地、商業地、高層住宅、低層住宅、学校などが計画的に配置されています。2000年前後から徐々に街開きが進み、現在はすべての地区で分譲が終わっています(建物が建っていない区画はありますが)。
当初の構想・計画と現状を比べると、色々と思い描いた通りに進んでいないところもありますが、そうは言っても沖縄県内では最大・最新の都市開発で、近傍の人の流れを大きく変えました。

ニュータウンですので、この新都心公園を中心として小規模な公園が計画的に分散配置されています。
ただ、この規模のニュータウンであれば、公園どうしを緑道や遊歩道、コミュニティ道路などで結んで、歩行者が街全体を安全かつ気持ちよく移動できるような手法をもっと取り入れて欲しかったところですが、そうした形にはなっていません。公園や街路樹のある道路は多く、建物もセットバックされて沿道スペースを取ってはいるのですが、緑被・緑視に関しては物足りないと感じます。

さて、そうした街の中心部にあるのが新都心公園。大きく3ブロックに分かれています。
1つめは県立博物館・美術館に隣接する南側のブロック。大きな芝生広場、土の多目的グラウンド、テニスコート、那覇市緑化センターなどの施設があって、通常は「新都心公園」と言えばここを指します。
広々とした芝生の広場の端の方には、ひときわ大きなガジュマルがあり、沖縄らしい景観をつくっています。
新都心公園(沖縄県那覇市)
新都心公園(沖縄県那覇市)
新都心公園(沖縄県那覇市)

またスケートボード用の広場や子供向けの遊具広場などもあり、幅広い利用者に対応しています。
新都心公園(沖縄県那覇市)
新都心公園(沖縄県那覇市)

モノレールのおもろまち駅からは、このブロックに向かって一直線に遊歩道が通じており「おもろ天空橋」と名付けられた巨大な橋で公園と繋がっています。この橋は災害時の避難路として一時に多数の人が通れるような規模・構造になっているため、日常的な利用からすると大きすぎる嫌いがあります。
新都心公園(沖縄県那覇市)

2つめは、新都心の北側にある安謝川へ向かって北流する多和田川の谷筋に沿って開発前の緑地が保存されているブロック。集落跡や古墓群などの遺跡も多いことから、園路を除いては人が立ち入りにくい構造になっています。
開発が進んだ那覇市街地ではボリュームのある自然林は少ないのですが、米軍基地として接収されていたことが功を奏して自然地が残された一例です。
新都心公園(沖縄県那覇市)

また、伊是名殿内(いぜなどぅんち)の墓は始めとする銘苅墓跡群は、新都心の開発事業に先立つ調査で重要な発見が相次いだことから国史跡に指定され、開発計画を変更して保存が図られたものです。
新都心公園(沖縄県那覇市)
新都心公園(沖縄県那覇市)

●現地の解説板より「伊是名殿内の墓」
 伊是名殿内の墓は、伊是名、伊平屋両島の総地頭(上流士族)、伊是名家の墓です。銘苅墓跡群の中にあって他の墓とはその規模、造形などが大いに異なる亀甲墓です。
 この墓は小高い山を三面に切り取り、その切り取った土で敷地を造成して作られた、面積約660㎡の県内最大級の亀甲墓です。その規模、建造技術は沖縄県の墓の中でも傑出したもので、道教(風水)の思想を基につくられています。
 墓庭を囲む石垣には「相方(あいかた)積み」を用い、隅には突出した石「隅頭(すみがしら)」があり、上級士族の屋敷囲いの石積みを彷彿とさせます。入口には、本門と中門の2つの門があり、入口をクランク状につくることにより、ヤナカジ(悪い風)が直接墓本体に当たらない工夫が施されています。
 中門を抜け墓庭に入ると、左手には葬儀に用いた用具等を処分するための、石を積んでつくられた穴があります。また、墓本体の正面右手には、土地の神であるヒジャイ(后土神)を祀る祠が見られます。
 墓室内は天井をアーチ状に組み、奥の壁に向かって3段、両側の壁に1段の棚が設けられています。さらに墓室入口付近にあるシルヒラシドゥクル(洗骨まで遺体を安置する場所)には、床面の石を外すと棺を置くための場所が現れる細工が施されています。
 このように墓内外の施設の精巧なつくりは、沖縄県内においては他では見ることのできないものです。
この墓は、その外観より18世紀代の様式のものである事がうかがえます。亀甲墓は17世紀に中国南部から伝わり士族階級に広がり、18世紀代に沖縄において独自の発達をして完成された墓で、この墓はその特徴をよく表している代表的な墓と言えます。

ところで、南側のブロックを整備する際には、こちらのブロックにあった樹木を何本も移植して活用したという話を聞きました。現地保存したものと移植したものとを見分けることはできませんが、たしかに開園して10年ちょっとにしては大きな樹が多いようです。

3つめは、2つめの保存系ブロックのへた地のように市街地に張り出してしまった北端の小さなブロック。最近になって遊具広場として整備されました。道を挟んで斜向かいには安岡ガジュマル公園がありますが、そちらには何も遊具がないので、2つの公園がセットでちょうど良いと思います。逆にトイレや自販機はガジュマル公園にあります。
複合遊具、揺れる動物のほか、少し珍しいユニバーサルデザインのブランコがあります。網状になった座り面は、体が不自由な子供が座りやすかったり、乳児でもお母さんに乗せて揺らしてもらって遊べるようにという工夫です。
新都心公園(沖縄県那覇市)
新都心公園(沖縄県那覇市)
新都心公園(沖縄県那覇市)

文化遺産オンライン「銘苅墓跡群」

(2012年10月訪問)

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