198/1000 新屋敷公園(沖縄県那覇市)

2012/11/18

沖縄県 身近な公園 那覇市

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新屋敷公園は、那覇市泊の住宅地にある小公園です。
三方を建物に囲まれていますが、道路に面している間口が広く奥行きが短いので、それほど閉鎖的な印象は受けません。
曲がりくねってあまり樹形の良くないガジュマルの樹が何本かあり、その木陰にブランコ、滑り台、ジャングルジム、シーソー、鉄棒などの遊具があります。

滑り台のオレンジ色が鮮やかです。

遊具とは反対側の隅に、拝所と記念碑があります。
拝所は「うがんじゅ」と読み(最近は日本語化して「はいしょ」と言う人も少なくないですが)、沖縄の信仰で神様を拝む場所です。祠があったり、石だけが置いてあったり、一見するとただの木の根っこだったりと形は様々ですが、都市部の公園に取り込まれている場合は祠があることが多いように思います。
拝所があると言うことは、その場所が古くからの地域の共有地であった可能性が高いと考えられます。もっとも公園をつくったときに拝所が引っ越してくることもあると思いますが。

また、記念碑の方は、泊村出身の空手家・松茂良興作(まつもら こうさく)の記念碑です。
琉球王国末期から明治にかけて活躍し、沖縄空手の一派である「泊手」の中興の祖と呼ばれる方だそうです。ただ、この場所に顕彰されているのは、泊村の共有財産が明治政府に取りあげられそうになった時に、それを防いだという理由からのようです。

『松茂良興作翁顕彰碑』
 松茂良興作は(1829~1898)泊村に生まれた。聡明なる師は天分に恵まれた武人と強健なる小躯を生かし若年にして泊空手の師宇久嘉隆、照屋規箴両師匠に師事数年後に武人としての頭角を現した。義侠心に厚く或る時薩摩の侍が抜刀して泊の良民に罵詈乱暴する処を押へた。後難を怖れ一時名護村に身を隠した。
 泊村には昔から琉球王府よりの共有財産の外に王府の科挙に合格して官吏に登用された山里長賢翁が泊村住民の福祉のために寄贈された内輪御持(共有財産)があった。
 明治12年廃藩置県の際日本官吏が其の財産迄引き揚げるべく策を計ったが松茂良興作外泊の武人の身命を賭した気概に断念しこの浄財は今尚泊先覚顕彰会の基金に活用されている。我々は破邪顕正の道を貫いた拳聖松茂良の名を永遠に残す。

昭和58年5月吉日

松茂良興作に詳しい空手道場のサイト 泊松茂良流興徳会

(2012年10月訪問)

【2015年2月追記】
1年ほど前にコメント欄に書いたのですが、2013年の11月に園内の大きなガジュマルの樹が倒れてしまったそうです。その後、後継となる樹木植栽や遊具の入れ替えなどの改修がおこなわれたようなので、久しぶりに立ち寄ってみました。

本記事一枚目の写真と比べると、やはり公園奥、隣の建物に近いところにあったガジュマルが倒れたようです。自動車教習所のクランクのように折れ曲がって育っていましたから、仕方のないことでしょう。その後には後継樹が植えられて、同時に古くなっていたブランコやシーソーは撤去されて今風の揺れる動物や乗り物に入れ替えられました。
1枚目の写真を再掲。初訪問時の園内の様子

滑り台もコンクリート製の古いものから入れ替えられていましたが、色調は以前のものを踏襲したようです。こういう小さなこだわり(配慮)は、必要なことだと思います。

ほかにも折れ曲がった樹があったのですが、再び騒動とならないように添え木がされていました。添え木自体が公園の出入口にかかっているところが少し気になりますが、そこまで動かすのは大変なので仕方がないことでしょう。

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