今でも、沖縄本島に近い離島航路(渡嘉敷、粟国、久米、南北大東など)は泊港から出発しています。
この泊港の埠頭が平成の初め頃に再開発されて、「とまりん」というターミナルビルが建ちました。その時に隣に整備されたのが「とまり緑地」です。
港湾整備でつくる緑地ですので、遊び場というよりは休息・イベントなどを考えたつくりになっており、実際、離島の物産フェアなど様々なイベントに利用されています。
ターミナルビルとは階段とデッキでつながっており、イベント時には緑地とデッキを一緒に使うことができます。また、階段はステージの観客席代わりになります。
広場は石張りの部分と芝生の部分があります。
石張り部分を通り抜けると、そこが泊港。
ホエールウォッチングもできる座間味島行きのフェリー乗り場の看板の前には、クジラのしっぽのモニュメント。ベンチなのかも知れません。
芝生部分には樹木の植栽も多く、木陰で憩える場になっています。
離島への船を待つ間、クーラーの効いたターミナルで過ごすのも良いですが、ぼんやりと港を眺めるのも楽しいものです。
最近になって、『琉球音楽 聲樂譜附工工四發祥の地』の石碑が建てられました。
工工四(くんくんしー)とは、沖縄音楽で使われる三線の楽譜(タブ譜)ですが、昭和の初め頃、それまでは三線専用の楽譜であったものに歌の音符(声楽譜)を合体させるということを考案した先達の活動の場が、このあたりにあったということです。
■碑文より『琉球音楽 聲樂譜附工工四發祥の地』
聲樂譜創設 体現者 伊差川世瑞、採譜者 世禮國男
昭和8年頃、県立二中教諭らが「泊三絃同好会」を結成し、指導者として伊差川世瑞師が招かれた。場所は泊高橋の近くの豊平楽器店の2階であった。世禮國男師は聲樂譜を考案し、野村安趙師、桑江良眞師を経て、伊差川世瑞師に体現された歌を工工四に記すことに成功した。
昭和10年8月28日に上巻が発刊されている。世禮國男師はその自序のなかで、城間恒有師、宮城嗣長師をはじめ野村流の脈・知恵・記憶を保持する先達に感謝の意を述べている。
琉球音楽の飛翔を期し、聲楽譜ゆかりのこの地に顕彰の碑を建立する。
平成23年8月28日
●とまりん(泊港旅客ターミナルビル)のページ
(2012年10月訪問)
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