196/1000 清水公園(兵庫県芦屋市)

2012/11/16

芦屋市 親水公園 身近な公園 兵庫県

t f B! P L

芦屋市の西部、JRと国道2号線とに挟まれた清水町は、阪神・淡路大震災で被害の大きかった地区の一つです。No.195の前田公園がある前田町などとともに復興区画整理事業がおこなわれ、コミュニティ道路や多くの公園を持つ新しい町に生まれ変わりました。
その中にある清水公園は、かつてあった川の流れをイメージとして再現した人工の流れが住宅地の中を貫き、流れに沿って小さな園地が連なるという面白い形になっています。と、文章で書いても分かりにくいので、googleマップで見てください。


阪神・淡路大震災では多くの火災が発生し、またその後の断水も長く続いた記憶もあってか、復興事業の際に井戸や流れを取り入れた例は多いのですが、それらの中でも、住宅地のスケールによく合う優れたデザインだと思います。
流れ・池のデザインは場所ごとに少しずつ違っています。

例えば、階段状の護岸で中に入って遊べるようになっていたり、

清水公園(兵庫県芦屋市)

柳などが植えられて眺めて楽しむ場になり、コミュニティ道路からそのまま公園内に入ってくるようになっていたり、

清水公園(兵庫県芦屋市)

水生植物が植えられてビオトープになり、人はデッキの上から眺めるだけになっていたりします。

清水公園(兵庫県芦屋市)

また、公園内には、公園ができた経緯について触れた解説板があります(文化財の解説とセットではありますが)。公園の中の文化財や植物などについての解説板はよくありますが、公園そのものの説明をしているものは意外に珍しいと思います。
「震災復興」という特別な思いの込められた事業ですので、その意志が受け継がれていくことは大切だと思います。

清水公園(兵庫県芦屋市)

■現地の案内板より『清水公園』

この公園は、芦屋西部地区まち再興協議会開催のワークショップでまとめた住民のみなさんの提案を基につくられた公園です。また災害時の1次避難地として耐震性貯水槽と防災資機材倉庫を整備しています。
本公園の敷地内には、古い川の一つである東川が流れていました。現在は、その水の流れをせせらぎとして再現していますが、江戸時代には芦屋市内の2か村(三条村・津知村)や神戸市内の3か村(森村・中野村・深江村)の農業用水源として重要な役割を果たしていました。また、平安時代後期~鎌倉時代前期(12~13世紀頃)には、この周辺にも集落が営まれ、川の氾濫を防いだ護岸施設(堤)や伏流水を水源とした木組井戸などが築かれていました。
井戸からは12世紀前後の墨書土器(須恵器椀)や瓦器椀・土師器皿などが出土しており、当時の生活用具の実情が知られるとともに、井戸をめぐっての村人の祭祀など、当時の人びとの生活のようすなどもわかります。
地下に埋もれたこれらの遺跡から、古代から中世へ移る頃の芦屋は、水の潤いのあった土地であることがイメージできます。水利の工夫とともに「清水町」の名にふさわしく、井戸遺構がまとまって発見された場所として、地下に存在する六条・清水遺跡はさまざまな歴史を物語ってくれます。

(2012年9月訪問)

ブログ内検索 Search

アーカイブ Archive

地図 Map

問い合わせ Contact

名前

メール *

メッセージ *

Facebook Page

QooQ