玉造カトリック教会(大阪カテドラルマリア大聖堂) |
児童公園ではあるのですが、周りの雰囲気を多少は反映したのか、よく育った樹木が立ち並び、騒がしいばかりではないところのある公園です。
外回りにはヒマラヤ杉やメタセコイアなどの針葉樹、園内にはソメイヨシノやシイなどの広葉樹が多く植えられています。すこし樹木が邪魔で、サッカーなどはやりにくいのではないかと思うほどです。
外周がスギ系なのですっきりした印象になっています |
園内は広葉樹系なのでボリュームがあります |
遊具広場には、小ぶりな山遊具、複合遊具、滑り台、砂場、ブランコ、太鼓橋などがあります。
遊具の点数はけっこうあります |
山遊具は近くにあるNo.170の宰相山西公園やNo.171の真田山公園で見かけたような全体が滑り台になっているようなタイプではなく、おわんを伏せたような形の山に滑り台が取り付いているものです。横穴もあるので、秘密基地なんかにもよいかも知れません。
公園の片隅に、なんらかの理由で伐り倒された木の切り株を使った方位板がありました。
これはなかなかおもしろいアイディア! 「年輪の目の詰まり具合で方位がわかる」って、子供の頃からよく聞くけれど、実際に目にすることは少ないですからね。
目が詰まっている方が北側です |
(2012年8月訪問)
大阪市中央区の玉造公園が、現在の公園になる前は、戦前の事と思いますが料理旅館であったと
返信削除聞いたことが有るのですが、どなたか、ルーツをご存じないでしょうか?
匿名様
返信削除こんにちは、ブログ作者です。コメントありがとうございます。
私もあまり古いことはわかりませんが、調べられるところだけ書きとめます。
まず玉造公園の付近は空襲で焼けており、戦後に区画整理事業が行なわれて町割りが改められ、その際に公園がつくられています。
国立公文書館のアーカイブ(https://www.digital.archives.go.jp/)で、終戦時の状況を示す『戦災概況図 大阪』を見ると、現・玉造公園の区画の南端あたりには寺院のマークが付いていますが、公園区域の大半にあたるところは「市街地模様」で塗られており、一軒ずつの状態はわかりません。
ですので、少なくとも終戦時には、現・公園区域の全体を使うほど大きな料理旅館はなかったものと思われます。
ただし料理旅館は、お庭が無ければそれほど大きな建物で営業するような商売ではありませんので、「市街地模様」の中にお探しの一軒が含まれている可能性はあると思います。
現時点ではお役に立てるような情報はありませんが、またなにか新しいことが分かればコメントします。
今後とも、本ブログをよろしくお願いいたします。
返信ありがとうございます。
返信削除もし、市街地模様の中に料理旅館青山といった名前の店のことが分かれば教えてください。