古くは近鉄バファローズのホームグラウンドだった「日生球場」のセンター方向裏手という表現でも良かったのですが、今は球場がなくなってしまったので場所の説明が多少難しくなっています。
なお大阪市内には城北公園もあるのですが、そちらは旭区の淀川端にある「しろきた公園」、こちらは「じょうなん公園」で、場所もかなり離れています。それも当然で、城南公園の城は大阪城、城北公園の城は中世の榎並城に因むものです(正確には、榎並城に因む旧・城北村のエリアにあるから)。
また大阪城公園の中でも、南外濠の南側、本町通に面した一帯が「城南地区」と呼ばれており、こちらは近いだけに間違えないよう注意が必要かも、です。
公園内は中心に円形の広場を取り、それを弧で区分してパーゴラ、遊具広場、幼児プールを配置するというデザインになっています。なかなか文章ではわかりにくいので、気になる方は所在地の「大阪市中央区森ノ宮中央1丁目20」をグーグルマップの空撮などで確認してみてください。
円形のパーゴラは、ベンチや柱などの施設こそ古くなっていますが、 フジがきれいに絡んでおり、花の季節には美しくなるものと思われます。
パーゴラ |
遊具広場は、コンクリート製のプレイウォールの中にブランコや砂場が、その周りに滑り台や太鼓橋ラダー遊具などが置かれています。
また、少し離れた場所に小さめの複合遊具もあります。
遊具広場 |
フェンスに囲まれた幼児プールは、少なくとも訪れた年(2012年)には使われていませんでした。
訪れた年の夏には、ちょうど東京の千代田区や中央区で幼児プールが人気なのを見てきた後だったので、物置みたいになってしまっているのが残念でした。
幼児プール |
また公園には東南と西南に大きな出入り口があります(小さいのはもう2ヶ所ほどあります)。
西南側の出入り口には花壇があり、地域の方がお手入れに精を出していました。
西南側の出入り口 |
東南側の出入り口には、1979年の町名変更でなくなった「北国分町」の由来を記した記念碑があります。これによると、この地にかつての摂津国の国府が置かれていたことから国府が訛って国分になったと伝えられているということです。
もっとも、碑文全体としては、冒頭の「江戸時代前期元和頃 摂津の国府」という一文がよくわからなかったり、鴻臚館(難波館)の建物を国府に転用したという記録のことが書かれていなかったりで、もう一つスッキリと読み進められないところがあります(笑)
記念碑裏面の碑文 |
(2012年8月訪問)
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