公園名の「柳北」は、明治の頃にこの辺りが「浅草向柳原町」と呼ばれていたことに因むのだとは思いますが、先に柳北小学校があり、それが関東大震災後に移転する際に一緒につくられた公園名も柳北公園になったものと思われます。
と言うことで、ここも関東大震災からの復興に際して小学校とセットでつくられた公園の一つですが、南隣にあった柳北小学校の方は統合で2001年に廃校になり、校舎はリセ・フランコ・ジャポネというフランス学校として使用されています。
柳北小学校の碑 |
北隣には、都立の忍岡高校があります。おおむね忍岡高校、柳北公園、旧柳北小学校をあわせた敷地は、江戸時代には肥前松浦藩の別邸があり「蓬莱園」という庭園で有名でした。
明治以降も残っていましたが、関東大震災で壊滅したため、学校や公園として転用されました。いまでも高校内に、池の一部と当時からあるイチョウの大木が残っているそうです。
さて、現在の公園内はと言いますと、二つの学校に挟まれた細長い敷地の西端が遊具広場、東端が記念植樹が並ぶ休憩園地になっています。
どちらの学校も校舎と公園の間にはフェンスなどなく、直接公園に出てこられる出入口があります。このことからも、三者が一体的に計画されたものだということがわかります。
全体概観 |
遊具広場の目玉は、両翼にブランコを広げた船型の複合遊具。なんとなく、戦国時代の安宅船を思わせるシルエットですが、もしかすると隅田川や神田川が近いので、お座敷船のイメージかも知れません。
船型の複合遊具 |
休憩園地の方は、東屋のまわりにソメイヨシノなどが植えられ、木陰でノンビリできるようになっています。大きなプラタナスは、開園時に植えられたものかも知れません。
休憩園地 |
(2012年7月訪問)
【2017年4月追記】
先日、久しぶりに通りがかったら、旧・柳北小学校の校舎を使っていたリセ・フランコ・ジャポネは移転して、今度は区立の蔵前小学校に変わっていました。
調べてみるとNo.136 精華公園の北側にあった蔵前小(旧・精華小学校)が校舎建て替えのため、2016年8月からこの場所に移転してきているそうです。
校舎のまま、残しておいて良かったということでしょう。
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