幕末に隆盛を誇った剣術道場で、史実で言えば清河八郎や山岡鉄舟、フィクションで言えば赤胴鈴之助が通った道場です。
私は子供の頃から時代劇が好きだったので「お玉が池」という地名だけは知っており、江戸時代の神田にそういう池があり、その畔に道場が建っていたのだと思っていました。
ところが、どうも江戸時代の初期~中期までは池があったようなのですが、徐々に周囲の都市化が進んで埋め立てられ、江戸後期には、江戸市民の皆さんにもどこに池があったのかはわからなくなっていたようです。
したがって道場が建った幕末には、ただの地域名としての「お玉が池」界隈であったと言うことです。
ですので、このお玉が池児童遊園も本当のところ「池」の跡地にあるのかどうかわからないのですが、花壇の縁取りなんかは、なんとなく池をイメージしているようです。
曲線が池っぽい? |
カエルもいました |
公園から少し離れた旧・千桜小学校の跡地には、件の玄武館跡の石碑もあります。
いまは廃校になったため門が閉まっていますが、自分で開けて見学することができます。
ところで、私は玄武館のことしか知らなかったのですが、現地の解説板によると界隈には学者も多く住み、江戸の学問の中心地になっていたということです。
玄武館の隣にも儒者・東條一堂の塾があったということなのですが、この塾の名前が瑶池塾。「ようちじゅく」とでも読むのでしょうが、「瑶」は「美しい玉」という意味。お玉が池の私塾に、なかなか粋な名前を付けたものです。
見学後は門を閉めましょう |
(2012年8月訪問)
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