熊本県宇土(うと)市の宇土城山公園は、近世初期に築城された宇土城跡を公園としたものです。それ以前の宇土城は別の場所にあったので、中世宇土城、近世宇土城と呼び分けます。
1588年に小西行長が築き、関ヶ原の戦いの後は加藤家に引き継がれますが、これも改易となって細川家が領主となった後の1637年、島原の乱に呼応するキリシタン蜂起を警戒した幕府の命により、堀を埋めるなど徹底的に破壊されてしまいます。
その後の300年くらいの間がどうだったのかはよく知らないのですが、昭和中期から徐々に開発が進んだことで、これに対応するために市史跡への指定や土地の公有化が進み、中心部が保存されます。
そして現在は、集落や墓地、学校などの間を抜けていった2.2ヘクタールほどが、宇土市の都市公園として整備されています。
そんなわけで、本丸跡の平場が公園の中心。周囲は高木に囲まれていますが、ざっくりと40メートル四方くらいの広場が取られています。
広場部分は、史跡としての復元整備などが特にあるわけではなく、まさしく広場です。
サクラの季節には、お花見に来る人も多いのではないでしょうか。
その広場の一角に、小西行長の銅像。こうした彫刻にありがちなことですが、台座が大きすぎて、肝心の銅像がよく見えません。
カメラのズーム機能のお陰で、十字架を首にかけて、刀を地に突いて建つキリシタン大名の姿を見ることができました。No.4381 中央公園で登場した「うとん行長しゃん」はぽっちゃり型でしたが、こちらはけっこうな痩身です。
ここには、あとは休憩所があるくらい。古城らしく、あまりゴチャゴチャさせない雰囲気には好感が持てます。
本丸から南側におりて、東に隣接する高校の方へ歩いてみます。
下写真で右側、高校との間の部分は、城の内堀だったのだと思いますが、埋め立てられて、石垣がただの擁壁ほどに低くそびえています。
石垣としては、本丸西側のものがハッキリと見学しやすいのですが、横に立つ解説板には「地面の下には、地上の石垣と同じぐらいの高さの石垣が埋まっています」と書かれています。いや、ずいぶんと頑張って破却したものです。
壊されたり残されたり、変遷が激しい宇土城山公園でした。
(2026年8月訪問)










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