江東区の亀戸駅の周辺は、明治の終わり頃から紡績を始めとする大工場が並ぶようになるのですが、それを可能にしたのは、江戸時代から開発された新田や水路、そして大名たちの下屋敷でした。
そのうちの一つ、近江国の仁正寺藩(にしょうじはん)の下屋敷の一部を用地としているのが、亀戸南公園です。
■現地の解説板より「占風園跡」
占風園(せんぷうえん)とは、近江国(滋賀県)仁正寺藩市橋氏の下屋敷の雅名です。昔、この近辺は「本所五ツ目」と呼ばれましたが、市橋氏は、この地に下屋敷5千6百坪を拝領していました。
『葛西志』によると、占風園は寛文期(1661~1673)に造営され、元禄期(1688~1704)の修築で景勝が整えられたといいます。広大な「釣月池」を中心に、周囲に築山、橋、茶屋をめぐらした回遊式の庭園で、その景色を題材にして元禄7年(1694)に「占風園十勝詩」が詠まれ、他にも「占風園十七詠」などの和歌が残されています。享保5年(1720)7月29日には、将軍吉宗が鷹狩りの際、雨宿りに立ち寄っています。また、『東京市史稿』遊園篇第二には、文化9年(1812)に藤原祐壽が描いた占風園の四季の図があり、その美しい風景の様子をよく伝えています。(平成11年3月 江東区教育委員会)
解説文中の「占風園の四季の図」を調べてみると、国会図書館のデジタルコレクションにある『占風園四時勝概画譜 同 四時絶句 同 四時和歌』という全3巻のうちの1巻がこれに当たるようで、釣月池の横に楽山楼、呉秋軒といった建物が建つ姿が描かれています。
それはさておき、現在の園内。下屋敷時代の面積は5,600坪(約1.9ha)だったそうですが、現在の公園面積は約0.2ha。駅近くの住・商が混交する一角にある小公園です。
メイン遊具は、木立に囲まれた盛土山の滑り台。下屋敷時代の築山の流れを汲むものと理解しましょう。
しっかりと表面が保護された斜面には、ネット遊具と幅広の滑り台。山を駆け上がっても良し、ネットと絡まるも良し、勢いよく滑り出しても良しと、なかなか充実した盛土山です。
山の頂上にはベンチもあるので、園内を見渡しながら休憩する事もできます。
盛土山の横には4連ブランコ。
砂場の横には手洗い場やテーブル&スツールもあリます。
テーブルとスツールは、石+木+レンガで変に主張が強いものが置かれていますが、具体的に何を主張しているのかはわかりませんでした。
駅近で、すぐ近くには大型ショッピングモールなどもあり、使い勝手がよい亀戸南公園でした。
(2026年3月訪問)











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