神戸市中央区の脇浜(わきのはま)公園は、阪神・岩屋駅から、すなわちNo.2917 岩屋街園から西へ150メートルほど離れたところにある小公園です。
旧西国街道に面して、南北2つのブロックに分かれています。
でも、もともとは700~800メートル続く公園・緑地帯として計画されたものなので、実現していれば、もっとたくさんのブロックに分かれていたことを思えば、2つに分かれているくらい小さな話です。
南側は遊具とパーゴラなどがある児童公園スタイルの園地。こちらだけでも2,500平米くらいはあるので、ご近所の公園としては十分な大きさです。
パーゴラの奥の方に揺れる動物遊具と砂場があるので、大まかには集会所前が児童用、パーゴラの奥が幼児用と区分されていると言えます。
砂場は周りよりも一段持ち上げて、衛生管理などをしやすくしたタイプ。
旧西国街道を渡って、北側へと向かいます。
こちらは側の方が高木が多く、緑が濃く見えます。
でもそれは西国街道に近いあたりにの園地にまとまって植えられているからで、遠い方の土敷きのグラウンドの周りはそれほどでもありません。
園地部分の植え込みの中に、小さな石碑が建てられています。
かつてこの場所で起き、この公園ができた契機でもある大火について記したものです。
■現地の石碑より「脇浜町一丁目火災一周年記念植樹(昭和52年3月吉日)
脇浜町一丁目は、昭和51年3月8日未明の大火により、106世帯222名が被災した。一周年に当り、被災者相集い記念のために植樹す。
『神戸市地域防災計画共通編』(2024年)には、この火災について次のように書かれています。
中央区脇浜町1丁目火災:昭和51年3月8日午前2時58分木造トタン葺平屋建20㎡の空屋から出火し、大火災となり同5時5分鎮火した。当地区は都市公園予定地に建ったバラック街で住宅密集地帯となっており、内部は狭い道路が迷路のように入り組み、従来から火災に対して危惧されていた地域であり、105世帯が全焼した。
昭和の中頃までは、いわゆる戦後のドサクサで公園の土地が不法占拠された状況を改善することや、逆に土地所有や土地利用が混乱してしまった地区に住宅地区改良事業を適用させて公園をつくることなど、バラック街だった場所が公園に一新されることがしばしばあったのですが、ここもそうした歴史を刻んでいる脇浜公園でした。

(2025年4月訪問)












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