久々知南(くくち・みなみ)公園は、昭和中期の区画整理事業によって生み出された小公園です。
三方を道路に囲まれた三角形の敷地をしており、うち一辺はJR福知山線沿いの、そこそこ交通量が多い道路に面しています。
■尼崎市立地域研究史料館『尼崎の地名』より「久々知」
古代の氏族久々智氏が居住していたと推定されている。建久2年(1191)の『観福寺大般若経奥書』に久々智村として出てくる。また文明10年(1478)の三鈷寺文書には久々知村と記されている。江戸時代には、大坂定番領、直領、武蔵国忍藩領と変わり、のち文政11年(1828)に尼崎藩領となった。慶長10年には村高1,165石。
道路や鉄道の騒音を軽減するためか、JR側はイチョウなどがいくぶん大きく枝葉を伸ばすように管理されており、また歩道の反対側には街路樹も植えられているので、ちょっとした見ごたえある林になっています。
園内主要部。シロツメクサなどが交じる草芝に覆われた一面の広場で、端のほうに小ぶりな複合遊具、4連ブランコ、砂場などの遊具が置かれています。
複合遊具は、2つの滑り台と、ラダー、変則階段、登り棒などが複合したもの。保育園児くらいからでも遊べます。
ブランコも、比較的最近のモデルが使われています。たぶん複合遊具と同時期に、入替えられたのでしょう。
砂場だけは、とくに更新もされずに、ずっと同じものが使われていることでしょう。
ところで、園内で気になったのは、隅々まで張り巡らされた禁止看板包囲網です。
外周部の至る所に、犬の糞させるな、木に登るな、バーベキューするな、ゴミを持ち込むななど、各種禁止看板のオンパレード。ざっと20枚はあったでしょうか。
それだけルールを守らない利用者が多く、きれいな花壇を育てているご近所の皆さんが心を痛めているということはよく伝わってくるのですが、一方でルールを守らない人は、たいてい看板があってもなくても行動は変わりませんから、どれほどの抑止力があるのかは疑問です。
ルールを守ればもっと楽しくなるはずの、久々知南公園でした。
(2024年5月訪問)
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