伊万里市の八谷搦(はちやがらみ)は、江戸後期の干拓事業で開かれた土地です。
この地方では干拓地のことを搦(からみ)と呼び、これを取り仕切る役所が搦方。ここの場合は、搦方役人を務めた八谷善兵衛が優れた人物だったようで、彼の名が地名として残っています。
そんな地区にあるのが、東八谷搦一本松公園です。
三方を道路に囲まれた三角形の敷地で、名前から八谷搦の東の方にあることはわかりますが、一本松は何でしょうか。古い地名から採られたのでしょうか。
いまの公園には一本もマツは見当たらず、クス、イチョウ、ケヤキなど、一般的な公園樹が多く植えられています。
あとはパーゴラに絡まるフジや、低木のサツキなど。
公園施設についても目立ったものはなく、一面の広場の周りに、ベンチやパーゴラが並ぶといった仕立てになっています。
名前はすごく特徴的ですが、実際の公園としては記憶に残りにくい東八谷搦一本松公園でした。
(2024年2月訪問)
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