3713/1000 太子山公園(兵庫県太子町)

2024/08/23

山の公園 身近な公園 太子町 鉄道遺産 兵庫県

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No.3712 斑鳩寺公園で登場した斑鳩寺の仁王門から、真正面に見える独立丘が太子山。この山がまるごと太子山公園になっています。
山頂から眺めると約450メートル北の斑鳩寺との間にまっすぐに道が通っており、丘を基準に寺の位置を決め、2つを結ぶ線を基準にして条里を編成していったのではないかと思うほどです。

この道が太子山にぶつかるところに小さなお堂があります。
これが聖徳太子を祀っていれば話が収まりやすいのですが、お堂は大師堂。弘法大師を祀るものです。

さて、太子山。
ここには、かつて麓を通っていた播電鉄道が遊園地を構えており、たいそう賑わっていたそうなのですが、詳しいことは知りません。
資料によれば、鉄道開業が1909年(明治42年)で、遊園地の開業が1912年(明治45年/大正元年)だということなので、京阪神の歴史上著名な遊園地たち、1907年(明治40年)開業の香櫨園遊園地、1910年(明治43年)開業の京阪・香里遊園地、1911年(明治44年)開業の阪急・宝塚新温泉などと比べても、けっこう早い時期に作られた遊園地だということになります。

下図は、大正時代の付近の地図に、播電鉄道の路線と駅とを強調表示したもの。
太子山の東側すぐに鵤(いかるが)駅があり、遊園地としては一等地だと言えます。

町発行の『太子町文化財めぐりマップ』では、”播電の一大遊園地で、映画館やお化け屋敷、メリーゴーランドやレストランなどがあり、夏場にはビヤガーデンや花火大会も開かれていました”とあります。
いつ頃に民営の遊園地が無くなって、町の公園に変わったのはよくわからないのですが、敷地は概ね同一なのだろうと思います。

山の北側は旧宿場町で山裾まで住宅が迫っていますが、南側の山裾には平場があって、これが概ね東と西とに分かれています。南東が遊具広場、南西は児童館などの建物が建っていますが、建物は現在閉業中です。
このあたりに、上記の「映画館やお化け屋敷」が建っていたのかも知れません。

この南東の広場で目立っているのは、静態保存された蒸気機関車。D51-345号です。
屋外ですが屋根付きで、横手には古い鉄道駅風の時計なども置かれて、大切に扱われている様子が伝わってきます。

解説板によれば、この公園にやってきてから50年近く経っているのですが、途中で何度かペンキも塗り直されていると思われ、良い状態を保っています。
神戸新聞によれば、直近では2018年(平成30年)にふるさと納税の寄付金630万円を活用して、屋根の葺替えとペンキの塗替えを実施したそうです。

公園での蒸気機関車展示の解説板としては定番ですが、どこの工場で造られ、どの路線を走ったのかという記録がしっかりと書き連ねられています。
さらに実際に北海道で走っている写真まで添えられており、解説板も充実していると言えましょう。

■現地の解説板より「蒸気機関車D51-345号の概要」

この蒸気機関車は、昭和15年1月31日に山口県日立製作所笠戸工場で 製造されたD51型蒸気機関車です。
このD51型は当時最大で力も強く安全性も高いため非常に重宝がられ、 SLの中で最も多い1,115両が製造され、貨物列車けん引の王者として山陽本線をはじめ日本全国で活躍しました。このD51-345は、昭和15年仙台鉄道管理局長町機関区へ配属されその勇姿を東北本線にあらわしました。その後、盛岡、釧路、札幌の各鉄道管理局を経て、昭和43年3月に札幌鉄道管理局追分機関区へ配属され、36年間の長い間輸送の 原動力として活躍しました。
しかし昭和51年1月引退し、太子町が貸与を受けたものです。太子町は D51-345の過去の功績と実績をたたえると共に、教育資料に役立てるため昭和51年2月8日太子山公園に展示保存することにしました。

《プレートナンバー「D51-345」とは》

頭のB. C. D. E等の文字は、動輪の数を表します。 
B…動輪2輪、C…動輪3輪、D…動輪4輪、E…動輪5輪
次の51等の数字について
10~49… タンク機関車(機関車の胴体の内部に石炭と水を積んだもの)
50~99…テンダー機関車(機関車本体と炭水車を別につないだもの)
最後の345等の数字は、その車のナンバーで一連番号です。人の名前にたとえるとD51が姓、345が名です。

プレートナンバーから「動輪4輪のテンダー機関車としては2番目のタイプのうち345番目につくられた車両」ということがわかります。

そのほかにも、デゴイチが向かう先には親子滑り台、ブランコ、ジャングルジム、鉄棒などの遊具があります。

大小の滑り台が1本の柱を共有するタイプを、本ブログでは親子滑り台と呼んでいます。
2つの滑り台を置くよりもコンパクトだし、形も面白いので、もっと普及していても良さそうなのですが、意外に見ることが少ない物件です。

ブランコなどは、まぁ標準的な形のものばかりです。

南麓の平坦部を、デゴイチから西の方へ移動すると、町の資料館や児童館だった建物があり、子供たちが二人三脚で走る銅像が飾られています。
建物そのものは極端に劣化しているようには見えないのですが、運営その他の理由で閉業しているのでしょうか。

元・児童館の前にあるのが、「町民健康歩道」と名付けられた足つぼマッサージ施設。片道25メートルくらいある往復コース全体に大小の石が埋め込まれているので、とても完歩できる気がしません。

その横には、健康歩道と同じくらいの長さの芝生地がありますが、フェンスに囲まれており立ち入ることはできません。おそらくプール跡地に土を入れて広場風に仕上げてあるのだろうと考えたのですが、それにしてはプールサイドが狭すぎる気もして、経過がよくわかりません。

少し戻って、デゴイチと旧・児童館のちょうど真ん中あたり、パンダの印があるところから、山上へ登る道があります。

入口は階段ですが、少し進むと坂道になり、つづら折りで山頂へと向かいます。途中で山の東側から登ってくる坂道と繋がるので、遊園地時代は駅に近い東側からがメインエントランスだったと思われますが、今はこちらの方が使い勝手の良い園路です。

この階段登り口の周りは、西洋の城壁風の鋸壁が組まれています。

遊具になっているのかとも思いましたが、裏に回ってみると柵があって、簡単には近づけません。こういうところで水鉄砲合戦とかボール当てとかをすると楽しそうなのですが。
機能的には装飾のみということになるので、西洋庭園でいうフォリー、つまり建物に似せた飾りだと判断します。

鋸壁の裏面はコンクリートブロックが剥き出しで、いささか安普請に見えます。遊園地時代のものなのでしょうか。

でも石を貼り付けてある部分はきれいで、100年以上も前の施設には見えません。遊園地時代にあった施設をモチーフにして、公園になった後のどこかの段階で整備されたものかも、と思い直します。

巨石がゴロゴロしている横を抜けて、園路を登っていきます。
岩石のことはまったく詳しくないのですが、流紋岩でしょうか。

ところどころに造成されたと思しき平坦地もあり、遊園地時代は何かに使われていたのかとも思いますが、今はサクラを眺めるための小園地といったところ。
でも斜面部分は岩肌が剥き出しのところも多く、造成はけっこう大変だったのではないかと思わせます。

最後は坂道から階段にショートカットして、展望台がある山頂に至ります。

頂上まで来ました。地理院地図で見ると標高は約47メートル。
平坦に造成された園地にはソメイヨシノがたくさん植えられていますが、生育状況は今ひとつです。

園地の中心には聖徳太子の立像があり、正面には「以和為貴」と刻まれています。

山頂広場の四方には、パーゴラ付きの休憩所、ちょっとした張り出し、国旗掲揚台などがあって、それぞれに眺望が楽しめるようになっています。中でも冒頭に写真を載せた北側は町の中心地方向で、斑鳩寺や街道、宿場町などが見下ろせるので、樹木がほどほどに伐採されて見通しが良いのですが、そのほかの方向はボチボチくらいの見え方です。
山頂が吹きさらしでも困るのですが、もう少し色んな方向を眺めたいように思います。

南向きの一角には、なんとなく遥拝所のようなものもあるのですが、視線は完全に遮られており、その先に何があるのかはわかりません。

寄贈は明治44年(1911年)だそうなので、遊園地が開業する前年です。

よそ者にとっては地域の歴史を物語る色々なものを垣間見ることができ、鉄道趣味や歴史趣味を満たすこともできるうえに、地元の皆さんにとっては朝の散歩で登るのにちょうどよいくらいの太子山公園でした。

(2024年4月訪問)

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