No.3673 平和橋児童遊園から橋を通って中川を渡り、堤防沿い北東方向へと歩いていくと、一箇所だけ堤防に腹付けするように広くなった箇所があり、ここが川端南児童遊園になっています。
公園の横手に神社があるので、これの境内地を使って公園にしたのかと思いましたが、由緒書を見ると神社がここに移ってきたのは、30数年前と比較的新しい事柄だそうです。おそらく公園ができたよりも後の話。
■現地の由来書より
当水神社は、今から258年前、享保15年(西暦1730年)鎮守川端諏訪神社の末社として中川河畔に勧請されたものです。
祭神は、水波能売神(みずはのうのかみ)をお祀りし古くから水の神様として灌漑用水のの守護神であり、また河川による農作物運搬の航路安全や水難事故防止のため、誠にあらたかな御利益があり氏子から厚く崇敬されておりました。
近年、時代の変遷と共に中川の汚染や地盤の沈下著しく、河川敷にあった石祠を石祠をはじめ鳥居など建造物も水没の危機に接したので、地元氏子有志の発意により昭和49年、現在地より約100メートル西南方の堤外に奉遷しましたが、この地も環境からみて好適地とはいえず、このたび有志相談の上、現在地に奉遷鎮座したものであります。(昭和63年10月吉日 川端諏訪神社)
現地では経過がよくわからなかったので、国土地理院のサイトで1957年(昭和32年)の空撮を見て確認します。
この当時のお社の場所まではわかりませんが、北から流れてきた小河川が中川に流れ込む河口部に、旧堤防と堤防道路が通っていることがわかります。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より/整理番号:USA/ コース番号:M1010R1/写真番号:1/撮影年月日: 1957/10/10(昭32) |
ここでもう一度、冒頭の写真を見返します。
撮影場所から左手に公園を巻くように旧堤防が伸びていき、右手側の一段高いところが空撮後に造られた新堤防、公園部分は河口の入江状になっていた部分を旧堤防と同じ高さまで埋めて公園用地を作り出したことがわかります。
おそらく、この「高さ」が氏子の皆さんたちに好適地と判断され、公園横の小さなスペースに遷座する事になったのでしょう。
さて、やっと園内に入ります。
400平米ほどの敷地はサクラとヒマラヤスギとに囲まれ、その下を三角形に園路が通り、園路に囲まれたところが芝生園地になっています。
園地の中には動かない動物遊具が2つだけ。フタコブラクダはわかるのですが、
こっちの鳥は何でしょう。黒い体に大きな黄色いクチバシと言えばオオハシですが、あれってトサカはないしなぁ...
でもきっと、近所の子供たちは、そんなに考え込まずに「カラス」と呼んでいる気もします。
少し前の中川の姿に思いを馳せた川端南児童遊園でした。
(2023年12月訪問)
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