3570/1000 大川さくら総合公園(宮城県気仙沼市)

2024/03/10

気仙沼市 宮城県 盛土山 大きな公園 東日本大震災後に整備された公園

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気仙沼市を流れる大川沿いの内の脇(ないのわき)地区は、気仙沼線BRT南気仙沼駅(停留所)の南に隣接する一帯で、東日本大震災前はおもに住宅地だったようですが、津波と大火災とで大きな被害を受け、復興のために河川堤防の増築、住宅地の盛土嵩上げ、復興区画整理事業等々が実施されてかつての姿から大きく変貌しました。

そこに整備されたのが大川さくら総合公園。全体では10ha以上あって園内はいくつかのブロックに分かれ、それぞれに違う公園名が付いているなど、いささかわかりにくいところもあるのですが、とりあえずザッと歩いた感想を。

まず、全体の中央に位置し、面積的にも一番広い範囲を占めているスポーツ施設エリア。
おもに野球場仕立ての土敷き運動広場、人工芝サッカー場の多目的グラウンド、陸上用の直線走路、クラブハウスなどがあります。

メインはサッカー・ラグビー場が2面取れる多目的グラウンド。

こちらは運動広場。グラウンド内ではありませんが、去年できたばかりなのに、もう水みちができて地面がえぐれ始めているので、早めに手を打つほうが良いと思います。

陸上施設は、施設名称としては「直線走路」と呼ばれている4×100くらいのものがあるのですが、

それに繋がる曲線が付いた30mくらいのコースもあります。400m走やリレーなど、どうしても曲線が必要な種目の練習に使うのでしょうが、草むらの中にこれだけがあると、かなり異質な感じがします。

さらに言えば多目的グラウンドの周りもジョギングコースになっているので、陸上施設と言えなくもありません。

スポーツ施設エリアのすぐ横にあるのが「命のらせん階段」と銘打たれた施設。
東日本大震災の津波避難に役立った元・住宅が保存されているのですが、現地を見ただけでは、公共施設なのか、公園区域に含まれているのか、などがわかりませんでした。

ただ、公園駐車場とグラウンドのクラブハウスとの間にあって、しっかりとした解説板も建てられているので、ちゃんと保存されていることはわかります。

(株)阿部長商店ホテル観洋創業者宅(民間震災遺構)~地域住民を救った「命のらせん階段」~

気仙沼市、南三陸町はじめ石巻市、大船渡市で水産業と観光業を営む株式会社阿部長商店。創業者であり会長の阿部泰兒氏は気仙沼市内の内の脇地区にあった自宅に東日本大震災の5年前、後付けの工事でらせん式の階段を取り付けました。
内の脇地区は高台の避難場所も遠く、すぐには逃げられない地域のため、この地区の高い建物だった自宅の屋上に住民が避難する目的で階段を取り付けました。3回ほど地域住民の方々と避難訓練も行っていた結果、当日は約30名が屋上で大津波から命を守ることが出来ました。

震災当日屋上で助かった方々の中には、高齢で足の不自由な方や、身重の女性もおり、らせん階段を登って大切な命を守ることが出来ました。気仙沼市は道路が車の渋滞によって身動きが取れなくなり避難できなかった方々もいる中で、自助・共助の率先した取り組みや積み重ねによって多くの方々の命が守られたことを次世代にも伝承していきます。

阿部泰兒氏は自身が1960年5月のチリ地震津波で多くの人命が失われ、そして東日本大震災で繰り返された悲しみをもう二度と繰り返したくないという気持ちで震災の教訓を語り継ぐため、自宅を震災遺構として残すことを決断しました。自助・共助の教訓として、命を守ることの大切さを伝えるためにこの場所は多くの方に訪れていただき、さらに伝え広げていける場所になることを願っております。三陸地域の水産業の振興だけでなく、観光業を創業し地域と共に歩んできた阿部泰兒氏のメッセージは震災伝承だけでなく、未来へ語り継がれていきます。

遠目から1階の建物内が見えるのですが、そこもグチャグチャなままで、震災遺構としての生々しさがあります。

公園整備との関係で、元の位置から曳家で85メートル動かしているそうなのですが、津波で壊れたところはそのままで、まず「よく上手に動かしたものだ」と感心させられます

それに対して、曳家は技術的にわかるのですが、お庭も移ってきています。これは流石に、津波で無くなったものを復元したのでしょう。

続いて、スポーツ施設とは一般道を挟んで分かれる南気仙沼防災公園エリア。大きな盛土山(避難山)を中心に置いた園地です。

盛土山へは2方向から直線階段で一気に逃げ込むことができるほか、高齢者等も逃げられるようにスロープが付けられています。

避難用なので頂上は真っ平らに舗装され、小さな東屋だけが置かれています。
頂上だけの面積だと100平米くらいなので、避難可能人数は50~100人という計算になりますが、とうぜん階段や斜面部分にも避難できるので、もう何倍かの人が逃げ込むことができると思われます。

こちらのエリアは、盛土山を除けば、あとは草っぱらが広がっています。
これだけの広さを草刈りし続けるのも大変なので、ヤギでも飼うと良いでしょう。

続いて、スポーツ施設エリアの方に戻って、駐車場の道向かいにある内の脇公園エリア。
敷地としては道路で分かれているし、施設内容もご近所の方向けのちょっとした健康器具などが置かれているので「別の公園かな?」とも思ったのですが、園内の案内板などには一体的に表記されています。
区画整理とか震災復興とかの諸々の制度的な事情で区域と名前は分かれていますが、実質的にはひとつの公園として扱われているのでしょう。

BRTの駅から東に細長く続いているので、もともと駅に付帯する鉄道用地だったのではないかと考えます。

敷地形状にあわせて、細長い形の健康器具が何点か置かれており、スポーツ施設ゾーンほどもハードではない、ちょっとした健康運動ができるようになっています。

そして、最後があけぼの公園エリア。最初の方に出てきた運動広場と、大川の堤防とに挟まれた平坦地です。

はっきりとした園路がなく、どこまで踏み込んで良いのか迷うような草敷きの広場の中に、さくらの苗木が何本も植えられています。もともと、このあたりの大川沿いは桜堤があったようなので、その風景の復活が目指されているものと思われます。

気仙沼名物のホヤぼーやにも桜舞う、大川さくら公園でした。

(2023年10月訪問)

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