大阪城の北東に広がる鴫野(しぎの)地区は、古くから志宜森、志宜野などと呼ばれた荘園があったそうですが、旧・大和川と寝屋川が合流する低湿地帯であり、水害の多い場所でもありました。しかし江戸時代中期に大和川の付替え事業が成功したことにより、都市近郊の農業地帯としての開発が進みます。
明治に入ってもその風景に大きな変化はなかったのですが、1913年(大正2年)、現在のJR鴫野駅の西方に鐘淵紡績の大工場が開かれたことで、周辺で工場、住宅、運河等の建設が一気に進んで人口が急増し、大正の終わりには工・住の混交地帯となります。
戦後になると工場が無くなった跡に集合住宅や学校が建設されて、現在の住宅地区としての鴫野西の概観ができあがるのですが、さらに1970年代に集合住宅が再開発され、その時に鴫野公園が開かれます。
ということで鴫野公園。
郊外のニュータウンにあるような、集合住宅に囲まれて、学校とショッピングセンターに隣接し、グラウンドもあって広々としていて、界隈ではきっと人気の公園だろうと思われます。
でもそうは言っても郊外ほどは土地に余裕がないので、グラウンド側のフェンスの横は、落ち着いて歩く園路というよりは、ただ通り抜ける通路という感じになっています。
上写真の園路のようなのが、各所にしっかりと通っているとランニングなどにも使いやすいのですが。
大阪市では、少し広めの公園には少年野球サイズの土敷きのグラウンドが置かれていることが多いのですが、このように通路に余裕がないことがしばしばです。
正直、外野フェンスまでの距離が2~3メートル小さくたって野球はできるので、もう少しだけ施設ごとの敷地バランスに工夫をして欲しいものです。
グラウンドの北側に回ると、遊具コーナーと小広場。
遊具の中では、大阪市に多い型の石の山遊具が存在感を放っています。
石の山遊具を除くと、その他は小ぶりな滑り台やバケット式のブランコ、揺れる乗り物遊具など、幼児向けのものばかりになります。
ブランコについて、大阪市内の公園では、座板敷とバケット式の両方がセットで置かれることが多いのですが、ここはバケット式しか見当たりませんでした。
敷地は広いので、元気な小学生が走り回ることには向いていますが、遊具に関しては小学生になると少し物足りないようにも思います。
このあたりでは、小学生になるとみんな野球を始めるのかも知れない鴫野公園でした。
(2023年6月訪問)
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