3428/1000 雲雀丘山手公園(兵庫県宝塚市)

2023/09/18

身近な公園 兵庫県 宝塚市

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雲雀丘山手公園は、住宅ばかりで他用途の建物がほとんどない雲雀丘地区の中では珍しく、幼稚園、消防署、クリニックなどが集まっている一角にある小公園です。
園名板の題字は、元宝塚市長の正司泰一郎さん。

話の流れの都合で、公園から30メートルほど離れた幼稚園のことについて先に触れるのですが、ここは生成幼稚園(学校法人精常学園)と言って、雲雀丘地区の開発の先駆けとなった施設です。
宝塚市史によれば、昭和初期に開発会社から2万6千坪の土地を購入した大阪の医師・別所彰善は ”都会の密集生活をさけ、恵まれた自然のなかになるべく質素な家屋を建て、四季寒暑を通して開放生活を実行し、玄米を食し生水を飲み、山登りをいとわず、自ら働いて自給肥料で野菜を作りながら、協同生活ができるようにするのが精常生活であり、このような生活方法を実行しひろめるため、修養・感化・療病・興健の諸事業をおこなう財団法人山林精常園の建設を志し、精常園債を募集して資金を集めこの地を求めたのであった” ということだそうですが、現在は各種事業を整理して、幼稚園をメインに運営しておられるようです。

再び公園に戻って、園内にある「雲雀丘山手公園の由来」碑を見ます。

■現地の碑より「雲雀丘山手公園の由来」
この公園は土地所有者の故・吉矢元彦氏のご遺言により東京大学医学部時代の友人の実家である別所家のご賛同を頂き、自然を残し地域の子供達に開放する目的で、雲雀丘山手自治会員の全面的協力によって開園されました。皆様、大切にしましょう。

平成6年3月31日

また別所さんが登場しました。

おそらく、この別所さんは、山林精常園の別所彰善の家のことと思うのですが、寄付の記念碑というのはたいてい奥ゆかしくて詳しいことが書かれないため、よくわかりません。
もう少し情報が欲しくて探してみると、J-STAGEで公開されている1958年の日本教育学会報告に、別所彰(精常学園)・吉矢元彦(大阪学芸大学)連名の論文がありました。おそらく、吉矢氏は学生時代に知り合った彰氏が彰善氏の跡を継いで進めていた山林精常園での教育・療病事業に賛同し、その目の前に居を構えてずっと協力関係にあり、亡くなった後も、幼稚園や地元の子供たちの居場所として使ってもらえるようにご遺言なされたものかと考えます。

さぁ、やっと園内に入ります。園内は大きく3段に切り分けられており、上段は広場やパーゴラ、中段に複合遊具、そこと小さなガケ滑り台で繋がる下段には砂場とパーゴラがあります。

雲雀丘は坂の街で、平坦なオープンスペースというのが公園くらいしかありませんので、これくらいの規模の広場でも、遊びや運動、防災目的などに重要な役割を果たします。

ということで、園内には自治会の皆さんが考えて作った、防災かまどベンチが設置されていました。
座面を外すとかまどになるわけですが、コンクリートブロックやレンガが格納されているところを見ると、非常時にはこれらを使って、かまどが増設できるのかも知れません。

遊具は、複合遊具と言うほどでもない、2種類の滑り台が繋がった小ぶりなものですが、雲間に虹がかかる空を行く飛行船のデザインが楽しげです。

そこから下段に下りるところは、階段横の隙間を上手に使った小型ガケ滑り台があります。

少し引いた角度から写すとこうなっていまして、滑り台を出た先の砂場には、日除けのテントが架けられていました。
これも、幼児たちの負担を少しでも減らしたいという、地元の方々の工夫なのだろうと思います。

そして公園の外周部は、階段型の花壇が取り巻いています。この花の世話も地元の皆さんが行なっているわけです。

石碑に名前を残す方々ばかりでなく、多くの皆さんに支えられて今がある雲雀丘山手公園でした。

(2023年2月訪問)

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