江東区の元加賀町は、江戸初期に加賀藩下屋敷があったことに由来する町名だそうですが、本ブログではこれまでもNo.1761 加賀公園(板橋区)やNo.2037 加賀公園(新宿区)などを訪ねており、時代によって場所を変えながら、江戸のあちこちに加賀藩の関係施設があり、それぞれに人々の印象に残るものだった事がわかります。さすがは加賀百万石。
そんな元加賀町に、関東大震災からの復興事業でつくられた元加賀公園と元加賀小学校が、いまも並んで残っています。
石板を重ねたスタイルの門柱には風格を感じますが、昭和2年(1927)の開園時からあるのかと聞かれると、少し疑わしいようにも感じます。プレートの文字フォントも、やや今風のものように見えるし...
さて園内。
復興小公園のひとつの特徴でもある、ステージ状に少しだけ高い位置につくられたパーゴラを挟んで、東1/3ほどが遊具広場、西2/3ほどが土敷きの広場という基本構造は竣工当時から変わっていません。
手元にあった(公財)東京都公園協会所有の資料で見ると、竣工当時の姿がこんな感じ。
東側と西側、2つの広場からそれぞれ小学校に繋がる出入口がある点も、変わっていません。
当時は門扉も柵もなく、公園と校庭とが本当に一体化していたようですが、さすがに現代の学校管理ではそうは行かず、間にはハッキリとした境界が設けられています。これは西側広場の方の門扉。
でも、門のすぐ横にある弧を描いた擁壁兼用ベンチは、上記の平面図に表現されているものと同じ位置にありますので、竣工時の姿を残しつつ、改良すべきところは改良して、現代に伝えているものと思われます。
そのほかに、敷地西端にある水景施設(壁泉)も、開園当時のものがそのまま残っているようです。
中央の窪んでいるところの壁から水が出て、下の小さな槽で一度受けたあと、下の広い池に水が回るものだと思うのですが、残念ながら訪れた時は水が流れていませんでした。
裏側には、現代風のボックスがあって循環装置が収められているようだったので、設備は更新されて現役で水が流せるようになっているとは思うのですが。訪れたのが4月の朝だったので、時期や時間帯を限って流しているのかも知れません。
そして壁泉の横から、西側の広場、パーゴラ越しに遊具広場の方を眺めると、こんな感じ。
遊具広場には、1階段2滑り部の滑り台、4連ブランコ、鉄棒、砂場などが設置されています。
遊具はどうしても老朽化して傷んできたり、安全基準が変わったりするので、さすがに昭和2年からのものは残っていません。
100年近くの間、地域の皆さんに愛され続ける元加賀公園でした。
(2023年4月訪問)
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