5月2日は、忌野清志郎の命日です。
荒川区尾久(おぐ)の防災公園に行った時に、彼がミュージックビデオの撮影で訪れた小さな広場を見つけたので記録しておきます。
忌野清志郎「JUMP」ミュージックビデオより
それがこちら、熊野前商店街防災スポットです。5メートル四方くらいの小さなスペースなので、我ながらよく気づいたなと思います。
ビデオの中では、清志郎は中野六区から立候補した候補者という設定で、この商店街で手を振りながら自転車に乗ったり、演説をしたりします。
地元のまちづくり協議会の資料によれば、現在の「熊野前商店街防災スポット」としての開設は2018年(平成30年)となっていますが、清志郎の曲が発売されたのは2005年(平成17年)なので、公共空間としてはずっと存在しています。
おそらく行政上の位置づけが変更されて、商店街内のフリースペースみたいなものから防災スポットになったのが2018年なのかと考えます。
さらに遡れば、元々は、この石碑「杉野中尉殉難遺蹟」のためのスペースだったと考えられます。
■現地の解説板より「航空界初期の事故」
わが国の初飛行は、明治43年(1910)のことで、徳川好敏大尉が代々木練兵場で高度70メートルで約3,000メートルの距離を飛んでいる。それから7年後にして尊い犠牲が生まれた。
陸軍工兵中尉杉野治義(27歳)が、陸軍野外飛行で下志津から高度500メートルで所沢へ帰航中、突風に襲われて尾久村の水田に墜落したのである。大正6年(1917)3月25日、午前11時40分のできごとであった。荒川区教育委員会
この事故について、淵秀隆(1923)『日本に於ける気象状態に依る航空事故に就いて』には次のように記されています。これによれば、墜落というよりも空中分解事故だったようです。
“杉野治義氏、国府台を過ぎ約300mの高度で東京府豊島郡尾久村熊の前田端新道の中央西側にさしかかった時、にわかに西北西の烈風が起り、黒雲は前面を蔽い激しい雷雨となったので、これを避けんとしたが、飛行機はさかんにあふられたあげく急降下の舵をとった刹那右翼を折られ、プロペラーに破損した翼が触れたため飛散し、翼の支柱も数十間隔てた水田中に散り、機は錐もみとなって水田中に3、4尺もめりこみ、ガソリンタンクから火を発し原形をとどめないまでに破損す。”
杉野中尉の慰霊目的と関係があったのかなかったのかはわかりませんが、清志郎のビデオの時点では、石碑の隣に小さなお社がありました。
現在はなくなって、代わりにそこには防災ベンチが置かれています。
訪れたのはたまたま廃品回収の日だったので段ボールなどが集められていますし、クリスマスに向けてツリー用の鉢植えも持ち込まれているために雑多な感じになっていますが、普段はもう少しスッキリしているものと思われます。
園地としては防災スポットになる時に改修されていると思うのですが、石碑、クスノキ、周りの住宅などはほぼ変わらず、撮影時の姿をよく残しています。
忌野清志郎「JUMP」ミュージックビデオより
べつに清志郎本人がロケ地を選んだわけではないでしょうが、ビデオ全体の作りによく似合っていて印象に残る風景だったし、それを今も大差なく見ることができるので、ロケ地巡り、聖地巡礼っぽい記事になってしまった熊野前商店街防災スポットでした。
(2022年11月訪問)
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