荒川区の尾久(おぐ)八幡神社近くの住宅地の中に、八幡児童遊園があります。
混み合った住宅地の中の不整形な敷地を使った小さな公園ですが、その代わりに周りのどこからでも見えやすく、入りやすい構造になっており、明るい印象を受けます。
こういう公園にはみんなが集まりやすいもので、ブランコの周りには子供がいっぱいだったので、複合遊具の写真だを少しだけ。
複合遊具は小ぶりなものですが、滑り台、ラダー、ネット、登攀壁などが複合しており、またハトやブタ、クマ、キリンなどが隠れているので、幼児から小学校低学年くらいまでが楽しめると思います。
ところで、公園の隣の細い路地は、もともとは農業用水路が通っていたようで、現在は八幡堀プロムナードと名付けられています。
■現地の解説板より「八幡堀の跡-江戸時代の初めごろから大正の終わりごろまで」昔ここに八幡堀という川の流れがありました。尾久村の田畑の水としての大切な役割りを果たしていたことでしょう。この流れは、昭和になって埋めたてられ小道になりました。流れの土手にあった木も今ではこんなに大きくなりました。社会科の学習で八幡堀のことを学んだ尾久宮前小学校の子どもたちは、昔のようすをいろいろ想像し、これを絵に描きました。桜草が生えている。流れに小舟が浮かんでいる。浮世絵で見た三河島の鶴もここに飛んできたことでしょう。小さな木の橋を通るお百姓さんやお侍。田植えや刈り入れ。そして子どもたちの遊び...。道路に並んだ絵タイルは、子どもたちが描いた作品をもとにしたものです。平成元年3月 荒川区教育委員会
郷土学習として八幡堀のことを積極的に取り上げた時期があったようで、なかなか力作のタイル画が設置されています。
農業用水の暗渠化・下水道化と聞くと昭和中期に頻発するのですが、この付近は都市化が早かったようで、戦前にはもう農業用水ではなくなっていたようです。
なので、マンホールのマークは、荒川区(東京市)に編入される前の尾久町時代のマークがついたもの。だいたい90年くらい使われていることになります。
■現地の解説板より「尾久(ヲク)」
この付近は、昭和2年から7年にかけて下水道が整備されました(北豊島郡尾久町下水道、昭和7年以降は荒川区尾久町)。このマンホールの蓋は、この時造られたもので、ヲが9ヶで「ヲク」と読ませたユーモアの中に、当時沢山あった水路が下水道として、次々と埋められていった状況がしのばれます。平成7年 荒川区役所土木部道路課/尾久を考える会
初めて訪ねた土地の歴史を教えてもらった八幡児童遊園でした。
(2022年11月訪問)
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