あおい公園は、現地には「あおい公園」という園名板が付いていますが、京都市の資料では「下鴨膳部(通称:あおい)」となっており、京都市内にいくつかある"公式通称付き"の公園のようです。
こうなった理由は、開設当時は下鴨膳部町(シモガモ・カシワベチョウ)に属していたものが、その後に町区域が変更になって所在地が下鴨膳部町ではなくなってしまったため、隣にある葵小学校から採って通称を付けたのではないかと考えます。
でも隣の小学校も、もとは第2下鴨尋常小学校だったものが、戦時中に葵国民学校に変わったそうなので、この地域になにかしら「葵」を名乗る理由があったのかも知れません。
小学校との間は簡易なフェンスになっており、門も設置されている学校公園スタイルです。
区切られてはいるのですが圧迫感や分断感が少なく、いい感じで一体化しています。
都市公園としての開園は1935年(昭和10年)。京都市内でもかなり古株に属する小公園なので、開園当時のものはあまり残っていないと思いますが、公園の門や壁は90年前のものかも知れません。
そのほかはどうかなぁ。まぁまぁ大きな樹もありますが、90年ものかと言われると疑問です。
遊具はもう今のものばかりで、同時期につくられたNo.754 南岩本公園のように強い味のあるものはありません。
もちろん全部がピカピカと言うわけではなく、コンクリート滑り台と動物遊具が古株で、ブランコやラダー遊具はここ20年くらいで入替えられているように思います。
90年前に、このスタイルを思いついていたら、相当なものなのですが。
そして、敷地の北端まで行くと、大きく「記念」と刻まれた記念碑がありました。陰影の加減で、非常に読みにくいのですが。
裏の碑文によれば、昭和6年から8年にかけて実施され、この公園を生み出した区画整理事業の記念碑であるようです。
あれ?
京都市の資料には、開園は昭和10年とあるけれど、碑文には昭和8年3月に「新開の遊園に安し」となっていますね。2年くらいは市の公園になっていない時期があったのでしょうか。
古いだけに、よくわからないことも多い下鴨膳部公園(あおい公園)でした。
(2022年10月訪問)
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