三木市大塚は、かつての三木城下町の東の入口にあたり、有馬温泉へと通じる湯の山街道沿いに趣ある建築なども残されている地区です。この町の街道からは少しだけ裏に入ったところに大塚公園があります。
街道沿いに蔵屋敷が立ち並ぶわけでもないのですが、公園入口のデザインコードは黒白のなまこ壁。
公園の横に建つ地区公民館も蔵風の外観をしています。
地区公民館はどこかの段階で建て替えられたものと思われ、もともとは公園と繋がっていたはずの出入口がすっかり無意味なものになっています。
背中を向けているリスの車止めも失業状態です。
そして、そこから反対側を見渡した途端に、景観配慮なしの黄色いビルが現れるところはご愛嬌。
園内には、他所ではあまり見たことがない形の滑り台とブランコの複合遊具、鉄棒、コンクリート製動物遊具などがあります。
滑り部の横の手すりが中ほどで途切れているのは、もともとこういう仕様なのでしょうか。危ない、危なくないという議論の前に、下まで付けない理由がわかりません。遊びを楽しくするためのプラスの効果は思いつかないし、たいしたコストカットになるわけでもないし...
遊具の後ろに見えるパーゴラの横に、なにやら溜池を造った記念碑の解説板があったのですが、どうにも不親切な内容で、肝心の谷や池や碑がどこにあるのかということがいっさい書かれていません。
■現地の解説板より「二位の谷 福田池築造記念碑」
幕末時代の十大国学者と呼ばれた一人である、小野一柳藩々校「帰正館」 の館長であった大国隆正こと野々口隆正書の碑文
「にひばりといふにはあらねど畑を田となすことも そのいさをはひとしかりけり。 はりまの三木に二位の谷といふ所あり。安政六年井上重充 是に池をいとなみつくれるは その下の畑を田になさむためにぞありける。明石の殿の郡つかさ服部保淑 津田信蔵 佐治時晴 これらの主たちの 事とりたまふときにして この人々のさしつきにこととり行う。中安知豫 岡本祐寛 この人々も諸にこころをよせられたるなりとぞ。君の政正しければ 其司にをる人々も正しく その下にすむものもしたしくて 末の世のため君のみためもよろしく 民もよろこぶことをなし得たるは 後の世につたふべきいさおにこそ。」文久元年八月 野々口隆正しるす
眼の前が堤なので登ってみましたが、そこに広がるのは田植え時期で水がはられた水田で、池ではありません。右奥の林の向こうがそれっぽいけれど、それにしては解説文からの距離が離れているし...
なんだか色んなことが消化しきれない大塚公園でした。
(2022年6月訪問)
その水田ぽいのが池ですね
返信削除えっ!そうなんですね
削除教えてくださりありがとうございます