網干(あぼし)の旧市街を流れる網干川は、揖保川と大津茂川という2本の川に繋がる1.5kmほどの細く短い川ですが、舟運が盛んだった時代には川港になっており両岸に回漕店が並んでいたそうです。
余子浜(よこはま)は、その網干川が揖保川から分岐する付近の地名です。現地の解説板によれば ”中世、吉川家文書には「余子浜」は「横浜」と書き揖保川より幅約10m、東西約120mの堀川があり東端(転記注釈:”西端”の誤り?)に約750平米(220坪)くらいの船溜溝渠があった。明治12年理立願書を県に出し、同14年に完工した。”とあります。
舟運が盛んだった時代はすぎて網干川も細く埋め立てられ、小さくなった船溜まりを両岸から挟むように余子浜公園が設置されています。
公園のすぐ北側には舟渡八幡神社、あぼしまち交流館などが連なり、網干地区の歴史的・文化的な活動の拠点ともなっています。
交流館から公園を眺めたところ。網干川の北側のブロックは、大きな円形のパーゴラだけがある空間になっています。
パーゴラではありますが、周囲からは1メートルくらい高い位置にあり、ベンチなどはないので、円形ステージとしても使える構造だと言えます。
周りのスペースも広く取ってあるので、地域のお祭などでも使うのでしょうか。
遊具がある南側に行くには、上が歩けるようになった水管橋を渡ります。
まぁまぁ水面からの高さがあって、渡る時は少しドキドキします。鬼ごっこなんかで走りながら渡るとなおさらでしょう。
今どきの設計であれば、おそらく柵で締め切って近づけないようにすると思いますが、おおらかな時代の名残だと言えます。
橋の下側もけっこう自由に入り込めるし、水道管部分によじ登ることもできるし、川沿いに転落防止柵もないしで、今となってはかなりワイルドな構造です。
橋の上から船溜まりを見下ろすと、小さな漁船が何隻か泊まっていました。
反対側を見ると水門で揖保川につながっているので、ここから出入りして、今も川漁が行なわれているのでしょう。
そして公園の南側ブロックに向かいます。こちらには新しい滑り台や2連ブランコが置かれています。
こちらがわも船溜まりを埋め立てて造成しているので、その遺構のらしき階段が残っていました。
小さなみなとヨコハマのヨコハマ公園でした。
(2021年11月訪問)
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