石垣の美しさで有名な世界遺産・勝連城跡から、No.2863 平安座東公園などがある与勝諸島へと通じる海中道路の方へ向かう時に、街道沿いの公園にあるタコ滑り台が気になっていました。
いつも前を通り過ぎるばかりで実際に訪れる機会がなかったのですが、この度ついに訪ねることができました。
ちなみに街道からはこんな風に見えます。これは気になるでしょ。
街道から少しだけ入ったところに公園の出入口があり、階段の上に大きな切り株の園名板が置かれています。どことなく蒸気機関車のようにも見えるのは気のせいでしょうか。
入ってみると園内は意外に広く、左右に草芝の広場が広がり、その先には高木が大きく育ってちょっとした林になっています。
タコは右手の林の奥にいることがわかっているので、先に左手の林に向かってみます。
すると、林の下にはブランコ、シーソー、鉄棒などの遊具が置かれていました。
どれも古いものですが、比較的きれいな状態を保っています。
それらの遊具と並んで地区の戦没者慰霊碑が建立されており、台座には「にしひがし睦みかわして栄えゆかむ 世をこそ祈らむみたまと共に」という歌が刻まれています。
どこかで記憶にある歌だったので調べてみると、昭和天皇が1940年(昭和15年)の宮中歌会始で詠んだ歌が「西ひがしむつみかはして栄ゆかむ 世をこそ祈れとしのはじめに」でした。
こういうのを本歌取りって言うのでしたっけ?
あと、こちらの一角には、切り株の楽しさと鉄格子の牢屋感が同居するトイレがあります。
さて、いよいよタコ滑り台に向かいます。
途中、ずいぶん傷んでしまったパンダがいる砂場の横を通り抜けると、
林の向こうにタコが見えてきました。
さらに近づいてみると、タコはほかの部分よりも一段下がったところに設置されています。
こうしてみると敷地の一番端っこの、道路からよく見えるところにわざわざ道路側を正面にしてタコを置いたことがよくわかります。タコのシンボル性をよく理解した配置だと言えるでしょう。
敷地内でできるだけ道路に近づけた分だけ、タコの正面にはスペースが少なくて、写真が撮りにくいのはご愛嬌。
このタイプの横長タコ滑り台で、正面側にガケ登り風のステップが付いているのは初めて見たかも知れません。たいていは、この部分も滑り部になっています。
また、このステップの作りが同じ旧・与那城町内にあるNo.2885 屋慶名東公園のタコ滑り台と似ていると思うので、両方のタコは同じ業者が作ったのかも知れません。
もしかすると、やっぱり正面の狭さが制約条件になり、横に向かって滑る方を重視した結果なのかも知れないなどと考えてみます。
南の島にタコがいる与那城公園でした。
(2021年7月訪問)
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