赤穂市東部の町・坂越(さこし)は坂越湾に面した小さな港町ですが、古くから瀬戸内航路の要所として栄えており、今も江戸時代に建築された旧坂越浦会所をはじめとする街なみが残っています。
また飛鳥時代に活躍した秦河勝を祭神とする大避(おおさけ)神社の祭礼「坂越の船祭り」は国の重要無形民俗文化財に指定されています。
そんな大避神社の参道沿いに、かつて坂越小学校が建っていたという敷地があり、ここが現在は東之町児童遊園になっている、ような気がするのですが資料不足で間違っているかも知れません。
■現地の解説板より「小学校跡」
坂越小学校は、昭和38年(1963年)に高谷に移るまで、この場所にありました。ここに大きな木造校舎が建ち、上の展望広場が運動場でした。
多いときには1000名を超えるこどもたちが、ここで学んでいたのです。
夏休みには、坂越浦で海の泳ぎ方を習いました。そして、4年生以上になると遠泳(海洋訓練)に出て、生島を泳いで一周しました。
この石柱は、そのころ校門として使われていたものです。
そして石碑から後ろを振り返ると地区の集会所があり、その横手にブランコや滑り台、鉄棒などの遊具が並んでいます。
施設内容からして、ここが表題の東之町児童遊園で、小学校跡地は単に「跡地の広場」のような気もします。
かつては運動場だったという展望広場まで上ります。
休憩所があるほかは全体が草敷きの広場になっており、眼前の坂越湾、遠くに家島諸島を眺めることができます。
広場の端まで行って、坂越の町を見下ろします。
土のグラウンド状になっているところは昭和の埋立地なので、それまでは本当に海が目の前だった様子が思い浮かびます。
このように見晴らしのよい場所なので、小学校になる以前は、漁のための見張り小屋があったそうです。
正確にはここではなく「眼前の小丘の頂上」だそうで、確かに写真右手の小丘で湾への視線が微妙に遮られています。
■現地の案内板より「鯔見の小屋跡」
鯔とはボラの幼魚のことである。坂越では敷網を用いた鯔漁が盛んで、江戸時代には鯔座が結成され、眼前の小丘の頂上に鯔の群れ具合を監視した小屋が建てられていた。
振り返って山の方を見ると、ここからずっとハイキング道が続いて、坂越船岡園、妙見寺観音堂、宝珠山へと上っていけるのですが、この日はここまでにしておきました。
(2021年8月訪問)
0 件のコメント:
コメントを投稿