沖縄本島で漁師町と言えば筆頭は糸満なのですが、南部の東海岸にある港川(みなとがわ)は、19世紀の琉球王府時代に糸満の漁民が移住して開かれた漁師町だということが記録に残っているそうです。
現在の港川漁港は県管理の第1種(地元の漁業を主とする)漁港として、小ぢんまりとした港となっています。
そんな港川漁港と集落との間に整備されているのが港川公園です。
厳密にどこまでが公園区域なのかはよくわからないのですが、普通に利用できる場所は、地区のコミュニティ施設と一緒になった芝生と遊具の広場、砂浜に下りることができる園地、漁港の船揚場の隣にある園地の3つに分かれます。
こちらが地区コミュニティ施設。集会所みたいなものでしょう。
その向こうに広がる芝生広場。ざっくり25m×150mくらいの細長い形をしており、その東と西の端にそれぞれ遊具コーナーがあります。
東端には、東屋の周りにどちらから登っても滑っても構わない滑り台、2連ブランコなどがあります。
一方、西端には盛土山の人研ぎ滑り台があります。
せっかくなので滑り台の上まで登って、東端の遊具の方を眺めてみました。大きな芝生広場の向こう、黄色い滑り台が小さく写っています。
そして、ここから東に進むと「砂浜に下りることができる園地」と書いた一角に出ます。でも実際には下り口の階段は封鎖されていて、まっすぐ下りることはできません。
「なんだろね~?」と思いながら柵の向こうを覗き込んでみると、階段の半分より下が壊れてなくなっているのでした。砂浜には、取れてしまった階段のパーツが転がっています。
おそらく高波があたって基礎ごと壊れてしまったのだと思うのですが、それならそれで修繕すればよいものを、下り口を封鎖して出入りできないようにする判断に至ったわけを知りたいと思いました。
いやでも、もしかしたら出入りをしてはいけないから柵を建てて、それだけでは物足りずに階段を破壊したのかも知れませんね。むー、謎だ。
仕方がないので芝生広場を挟んで反対側にある「漁港の船揚場の隣にある園地」に行ってみます。
芝生広場よりも一段下がったところにあたるのですが、黄色い滑り台のあたりから眺めてみると、園地を取り囲むように謎の「空中回廊」が巡らされています。
近づいて見上げてみると、こうなっています。
空中回廊はコンクリート製で、長方形をした広場の3辺を囲むように、緩やかな曲線を描いて長さ100メートルほどに渡って設けられています。
路面には土が入れられているようですが、出入口が封鎖されていて立ち入ることができなかったので、全体を確認することはできていません。でも、こういう形になっているということは、自転車やスケボーは通れませんから、「散策路」としての使いみちを考えて作ったのでしょう。
津波避難施設という可能性も考えてみたのですが、ここまで見てきた平場よりも低い位置にあるので、その説はあてはまらなそうです。
また、回廊の途中から巨大な鉄骨構造物が突き出しているのですが、よく見ると中央に丸い輪っかが付いています。
真下に、周囲の園地と区切るためのサークルがあることと考え合わせると、おそらく大きなタイヤブランコのような遊具、それも吊るす位置の高さ、下のサークルの大きさからして、そうとう巨大なものが吊るされていたのだろうことが想像されます。
さらによく見てみると回廊を支えるアーチの上部にはデザインされた溝が切ってあったり、水が溜まるようになったりしていて、単なる排水設備ではなく、何かしらの遊び心が込められていることがわかります。
実際の遊びには、なかなか使いにくい位置・形状ですが。
ということで全体を見渡してみると、回廊とブランコを併せて、これ自体が複合遊具のようなものとして整備されたのだと思います。
が、現状でまったく使えなくなっている状態を考えると、「よく作ったものだ」感心するばかりです。いろいろな意味で。
おそらくは20年以上前に、ここを整備した時の詳しい事情は知る由もありませんが、「遊び場のことをわかっている人がつくったものでは無いだろうな」と思う謎の巨大構造物(もちろん、遊び場だろうと想像しているのは私の勝手なのですが)。
まぁ結局、漁港にとって必要なものなら使われるし、必要ないものなら別の使いみちになるしということで、今は倉庫の雨よけになったり、漁網が置かれたりしているようです。
なにかと謎物件について考えさせられる港川公園でした。
(2021年6月訪問)
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